ヤムとの再会に喜ぶ朝田家
また彼のパンを食べたい

 葬儀のあとの精進落としのとき、戦禍のなか生き残っていたヤムとの再会を喜ぶ一同。

「もういっぺんヤムおんちゃんのアンパン食べたいなあ」とメイコ。
「あのほかほかのあんぱん…」と蘭子。
「ヤムさんのあんぱんお父さんにお供えしたいがです」と羽多子。

 だが、ヤムは戦争中、アンパンを作っていなかったし、旅の途中で酒種がダメになったのでもう作ることはできないと言う。

 その晩、ヤムは釜次の寝間着を着て泊まったが、朝には姿をくらましていた。

 ヤムが戻ってきたら、朝田パンを再開できるのではと考えていたくら。もしかしたら、羽多子もそれを狙って、家に泊めたのかもしれない。何か企みのある目つきだったような気もする。「これからどうしましょ」とうなだれる。蘭子もいまは職がない身である。

 釜次亡きあと、家のことは自分がなんとかするとのぶは言う。

 家に縛られるなと言って亡くなった釜次だが、働き手の彼がいなくなったら残された女たちは自ら生計を立てなければならない。釜次は面白がって生きて、残された者たちの経済については考えていなかったようだ。

 世の中には家族に遺産をしっかり残す人もいるが、子どもたちに自立を促すためいっさい遺さないという考え方の人もいるのだ。釜次が実際どう思っていたかはわからないが。くらも羽多子も再び、突然、どうやって生活費を稼ぐか考えないといけなくなったのだ。

 幸い、のぶは高知新報という会社に勤務している。葬儀後、出社すると、突然、東海林(津田健次郎)がのぶは新聞記者に向いていないと言い出す。戦災孤児や浮浪児のことばかり書いていて、客観性がないというのだ。どうやらのぶは戦争中に子どもに間違ったことを教えた罪悪感から子どもの記事ばかり書いていることを指摘。

 個人的には別にそれでもいいんじゃないかとも思うが、新人だし会社員でもあるのでほかの記事も仕事で書く義務があるのに書いていないとしたら問題ではあるだろう。

 東海林はあくまで冷静に、偏りはジャーナリストとして致命的な欠点であるが、自分を捻じ曲げてまで偏りをただすこともないと言う。つまり、自分のやりたいようにやれと言うのだ。