まずは象徴たる「上田城」を訪れた。城下町は旧市街を迂回して鉄道が敷設されるため、駅と城が離れていることが多いが、信越本線(現・しなの鉄道)は地形上、千曲川と上田城の間を通るため、駅から城址公園まで直線で600メートル程度と近い。
上田城と言えば真田氏だ。戦乱の世に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の間を立ち回った真田氏は、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」でも描かれたように、上田城で2度にわたり徳川軍を撃退した父・真田昌幸、徳川家臣として生き抜いた兄・真田信幸、豊臣家臣として大坂の役で散った弟・真田信繁で知られる。
上田駅の正面に真田氏の家紋である「六連銭」が飾られているように、上田市にとって真田氏は重要な「観光資源」だ。城址公園内の上田市立博物館は、本館では江戸時代の仙谷氏、松平氏の治世を中心に、別館では真田氏を中心に取り上げており、甲冑(かっちゅう)や絵画、書簡など貴重な資料を見学できる。
上田城に今も残る
お濠を走った鉄道の記憶
歴史の話が長くなってしまったが、実は上田城の「二の丸堀」には電車が走っていたことがある。現在は別所線11.6キロのみの上田電鉄だが、最盛期は青木線(1938年廃止)、丸子線(1969年廃止)、西丸子線(1963年廃止)、真田傍陽線(1972年廃止)の5路線計約50キロを擁する中規模の地方私鉄だった。
このうちお濠を走ったのは1927年に開業した真田傍陽線だ。廃止から半世紀以上が経過し面影は残っていないが、歩道に転用された線路敷と「公園前駅」のプラットホームだけが、かつて鉄道が走っていた記憶を伝えている。

翌日は上田駅前からバスで約1時間の青木村を訪れた。上田市に隣接する青木村は東急グループ創始者・五島慶太の出生地で、2020年に「五島慶太未来創造館」が開館した(生家も長らく残されていたが、残念ながら2018年8月14日、奇しくも慶太の命日に落雷で焼失してしまった)。しばしば記事で五島を取り上げる筆者にとっては、事業にまつわる展示は目新しいものではなかったが、生い立ちや故郷や家族にまつわる展示は地元ならではの内容で興味深かった。
