不運続きだった自分の人生を、やなせ先生に託した生涯だったのかもしれません。そして、そのやなせ先生の人生は、アンパンマンの大ヒットにより光り輝こうとしていました。

 しかし、まさにこれからという時、柳瀬夫人は病魔に襲われてしまいます。胸に異物感と痛みを感じるという自覚症状が、アニメ放送が始まった1988年の秋頃に出ていたのです。

即日入院した夫人は
手術の甲斐なく余命宣告

 柳瀬夫人の異変に気付いていたやなせ先生は、後年、このとき無理やりにでも病院に連れていけばよかったと後悔します。柳瀬夫人は丈夫なうえに病院嫌いだったので、なかなか診療を受けたがらなかったこと、そして2人とも忙しかったことが重なり、病院から足が遠のくという不運もありました。

 同年12月、症状が悪化していき病院へ駆け込むと即日入院を告げられ、左乳房を切除する手術を受けます。症状は深刻で、がんが肝臓を含めた全身に転移しており、下った宣告は余命3カ月でした。

 男勝りの柳瀬夫人も、乳がんを告知され気弱になります。

「私、だめかもしれない、覚悟はできているから本当のこと教えてよ。整理しておかないと、あなたじゃわからないから」と口をつきます。この過酷な状況においても、柳瀬夫人の気遣いと関心はやなせ先生に向けられていました。そしてやなせ先生は、最期の最期まで、がんが全身に転移していることを告げることができませんでした。

 憔悴しきったやなせ先生は、藁にもすがる思いでした。抗がん剤治療だけでなく、食事療法をはじめとした様々な方法を試し、奇跡を起こそうとしました。

 子宮がんを克服した漫画家の里中満智子から丸山ワクチンの存在を教えてもらい、柳瀬夫人に投与したこともその一つです。ただの水であるとして主治医は反対しましたが、しばらくの間、近所の病院で1日おきに打つという生活を続けます。

 何が功を奏したのかは全く分かりません。ただ、柳瀬夫人の症状が劇的に改善したことは事実でした。約1年後には、山歩きができるようになるほど回復します。茶道・裏千家の参与に就任することも決まり、柳瀬夫人は公私ともに輝きを取り戻していきました。