
36歳のある日、突然視力を失った著者の石井健介さん。「これ以上の回復は見込めない」と医師から診断を受けた後、次に待ち受けていたのは「障害者手帳の取得」や「白杖の所持」へのためらいであった。当時の思いと葛藤を語る。※本稿は、石井健介『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
障害者手帳を持つことに
抵抗を感じていた
障害者になんてなりたくない。
それが偽らざる本音だった。障害者という言葉はパンチが利いていて、誰もが一瞬、うっとひるんでしまう響きをもっている。それは字面においても、きっと同じことなのだろう。最近よく表記について「障害者」か「障がい者」か「障碍者」か、どれが適しているのかと聞かれることがあるが、僕にとってはどれもこれも同じ響き、だからなんだってかまわない。
眼科の医師からは「これ以上の視力回復は見込めず、眼科にできることはない」と、早々にさじを投げられてしまっていた。このとき初めて知ったのだが、0.02の視力であっても、めがねで視力矯正ができなければ立派な視覚障害者、さらに僕にいたっては、右目の視力がない。かくして僕は一種一級という、最上位の障害者手帳を手に入れたのだった。
パスポートや運転免許証など、証明書の写真写りはよくないと相場が決まっている。僕の障害者手帳も例にもれずだ。証明写真を撮ったとき、僕の顔はステロイド治療の副作用でアンパンマンみたいにパンパンになっていて、シュッとしていることが売りだった輪郭には1ミリの面影もない。その顔写真を自分で確認できないことが、せめてもの救いだと思っている。