
裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業「アラビア石油」を作った破格の傑物、山下太郎――。終戦直前、太郎は満州で得た7億5000万円(現代の6兆円超)もの巨額資産を「国家と未来のために使う」と決意。軍事支援や科学技術振興に私財を投じようとしたが、敗戦と政府の方針転換で全てが水泡に帰してしまう。だが、時代の激変の中でも「自分のすべきこと」を貫いた太郎の姿勢は、現代のリーダーにも自分の資産や力の使い方という問いを投げかけている。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。
満州で蓄えた資産の使い道
7億5000万円の決断
終戦直前の1945年、山下太郎が満州で保有していた財産は実に7億5000万円にのぼっていました。今の価値に換算すれば現在の6兆3000億円強に相当します(*)。彼は、この巨額の私財を「国家と未来のために使う」と決断します。
その背景には、「たとえこの戦争に負けたとしても、自分の資産が紙切れになるだけならまだしも、それが日本の将来にまったくつながらないのでは意味がない。ならば、日本の再出発に役立つことに投じよう」という信念がありました。
太郎がまず取り組んだのは、日本の反攻を支える新兵器への支援です。彼が出資を申し出たのは、ロケット戦闘機「秋水」の開発でした。従来の戦闘機とは異なる、短距離・高速度での迎撃を目的としたこの機体は、秘密の存在であり、陸海軍が共同で開発を進める異例の国家プロジェクトでした。
さらに彼は、敗戦後を見据えた「日本再建」の種まきにも動き出します。敗戦は日米の圧倒的な技術差にあると思い知った太郎は、戦後の復興を左右するのは「人」と「技術」であると確信します。そこで、国を通じて大学や研究機関への寄付を行い、若い科学者や技術者の育成に力を注ごうと考えたのです。
つまり、太郎の資産投下は、ただの戦時協力ではありませんでした。軍事支援と民間技術支援という、表と裏の両面を戦略的に支えることで、戦時中からすでに“敗戦後”の日本の立て直しを構想していたといえます。そしてその姿勢は、これまでも何度か見せた彼の勝負スタイルである“損して得取る”を地で行くものでした。
個人の私財を国家の未来に投じるという決断は、単なる美談ではなく、未来戦略として極めて冷静かつ合理的なものであったといえるでしょう。
しかし結果として、いずれも叶いませんでした。太郎の通帳に7億5000万円が着金したのは8月20日。つまり終戦の5日後でした。秘密兵器の「秋水」は用済みになり、科学技術振興のために申し出た3億5000万円の寄付も、大蔵省の津島寿一蔵相によって凍結されたのでした。