小説『ヤマ師』より引用(P218〜219)

 ところが、思わぬ横やりが入る。通帳の現金を引き出そうとしたところ、新内閣で蔵相となった津島寿一から待ったが掛かったのだ。

 7億5000万円(現在の6兆3000億円強に相当する)はインフレ下の満州で得た金額であって、国情がかくも激変した以上、額面通りに払い出すわけにはいかないというのである。

 津島は大蔵省で英、仏、米で海外駐在財務官も経験した国際金融官僚の出身で、戦後は外債処理や賠償交渉で腕を振るった。敗戦を境に、日本人の在外資産の扱いについてはとりわけ厳しい目を注いでいた。

 終戦後、満州に居住していた日本人は、ソ連軍の進駐や現地住民との緊張の中で、混乱に巻き込まれていた。日本人が所有していた工場や企業、農地などは「敵国資産」として現地の管理下に置かれ、ソ連軍や現地の中国人勢力が日本人所有の土地や資産を没収するケースも多発した。

 日本へ帰還しようにも、引き揚げ船での荷物の制限や、物資の検査が厳しく行われ、多くの日本人は現地で蓄えた財産を失った。一部には、衣服や日用品の中に貴金属や現金を隠して持ち帰るなどした例もあるが、ごくわずかである。

 この混乱期に巨額の資産移転をかくも鮮やかにやってのけた太郎を、津島は警戒したのだろう。

 寄付のためだというが、それを方便に政府の要人まで動かして私財の保全をたくらんだ小狡い政商と映ったに違いない。

「俺は私利私欲のために働いたことは一度もない。すべては日本のためを思ってのことなのに、津島のような役人上がりには一生理解できんのだ」

(略)

 津島の方針も最後まで覆ることはなかった。ときの蔵相の強硬な反対にあっては、万事休すである。

 朝鮮銀行の通帳に書かれた金額は、引き出すことのできないただの数字と化してしまった。

(略)

 ともかく、「三井、三菱の次は山下か」とまで言われた満州での大成功は、すべて水泡と帰した。

 56歳にして、太郎は再び、ゼロからの出発を余儀なくされるのである。

カネは、使う相手と目的で
その意味を変える

「俺は私利私欲のために働いたことは一度もない」という太郎の言葉に嘘はないでしょう。

 この姿勢に学ぶべきは、「カネは、使う相手と目的で、その意味を変える」ということです。資産を持つこと自体は悪でも善でもありません。その使い道が、人格や志を問うのです。

 また、時代がどれだけ変転しても、「自分がどうあるべきか」という軸を失わないこと。戦時、敗戦、戦後の混乱を通じて、太郎は「自分のすべきこと」を探し続けました。その背中は、今日の混迷の時代にも大きなヒントを与えてくれます。今、同じように巨額の富や影響力を持つ企業経営者やリーダーたちは、自分の資産や力を何のために使うべきか、あらためて自問してみる必要があるのではないでしょうか。

Key Visual by Noriyo Shinoda