
裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業を作った破格の傑物――。山下太郎は、若き日に札幌農学校(現北海道大学)で学び、初代校長クラークの「少年よ、大志を抱け!」という言葉を胸に刻み、開拓者精神を貫く人生を歩んだ。戦前にはオブラートの発明を皮切りに、貿易業や中国・満州での事業で財を成すも、敗戦ですべてを失う。しかし1958年、70歳を目前にして中東での石油採掘権の獲得に乗り出し、見事に成功。中東に油田を持つ日本初の石油会社、アラビア石油を設立した。常に果敢な挑戦を続けた、まさに“ヤマ師(投機家)”だった。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。
かつて日本一の高収益企業だった
「アラビア石油」を覚えていますか
かつて「アラビア石油」という会社がありました。その社名を聞いて、その実像を即座に思い描ける人は少ないかもしれません。1960年代から2000年代初頭にかけて、日本でただ一社、中東で油田を保有していた企業です。創業者は、山下太郎――通称“アラビア太郎”といいます。
1975年、アラビア石油は法人所得で松下電器産業(現・パナソニック)、トヨタ自動車、日立製作所を抑えて日本一に躍り出ます。その原動力こそが、サウジアラビアとクウェートという“石油王国”から採掘権を取得した「日の丸油田」でした。
以下は「週刊ダイヤモンド」1975年8月30日号の記事を再編集して再現したものです。
アラビア石油、75年 法人所得でトップ
――松下、トヨタ、日立を押さえ
1975年の法人申告所得は、アラビア石油(水野惣平社長)が2555億円と、2位の松下電器産業の876億円に大差を付けて堂々の1位となった。 73年に日本を襲った石油ショックを機に、ランキングの常連であった松下電器産業、トヨタ自動車工業、日立製作所などがジリジリと後退するのを尻目に、日本で唯一、中東で油田を保有するアラビア石油が前回6位から一気に1位に躍り出た。
アラビア石油の73年売上高は966億円、経常利益は662億円だったが、74年決算では4163億円、2506億円と急増している。売上高は4.3倍、経常利益は3.8倍の伸びである。この間に設備が増えたわけではなく、ましてや原油の需要が4倍になったわけでもない。その理由はひとえに、原油価格の大幅値上げである。
同社がサウジアラビアで生産する原油の平均価格は、73年に1キロリットル当たり3859円だったのが、74年は1万8362円に跳ね上がった。この値上げが物を言っての大幅増収増益となった。
――松下、トヨタ、日立を押さえ
1975年の法人申告所得は、アラビア石油(水野惣平社長)が2555億円と、2位の松下電器産業の876億円に大差を付けて堂々の1位となった。 73年に日本を襲った石油ショックを機に、ランキングの常連であった松下電器産業、トヨタ自動車工業、日立製作所などがジリジリと後退するのを尻目に、日本で唯一、中東で油田を保有するアラビア石油が前回6位から一気に1位に躍り出た。
アラビア石油の73年売上高は966億円、経常利益は662億円だったが、74年決算では4163億円、2506億円と急増している。売上高は4.3倍、経常利益は3.8倍の伸びである。この間に設備が増えたわけではなく、ましてや原油の需要が4倍になったわけでもない。その理由はひとえに、原油価格の大幅値上げである。
同社がサウジアラビアで生産する原油の平均価格は、73年に1キロリットル当たり3859円だったのが、74年は1万8362円に跳ね上がった。この値上げが物を言っての大幅増収増益となった。