
『週刊少年ジャンプ』の黄金時代を築いた編集者、鳥嶋和彦さんは漫画をテレビアニメや映画、ゲームやグッズに展開した第一人者だ。今や世界中で視聴される『ドラゴンボール』アニメ化の裏側には、「アラレちゃんショック」という大失敗があったという。テレビ局や映画会社など外部のベテランたちと交渉する術を、どうやって身に付けたのか? 味方がいない中、新事業を切り開くために何が原動力となったのか。(ライター 池田鉄平、ダイヤモンド・ライフ編集部)
「アラレちゃんショック」の教訓を
『ドラゴンボール』で生かした交渉術
――鳥嶋さんは漫画をテレビアニメや映画、ゲームなどの各種商品に展開する「メディアミックス」の第一人者でもありますね。ただ、最初から順調だったわけではなく、「アラレちゃんショック」と呼ばれる大量の商品売れ残り現象もあったとか。苦い経験を踏まえて、『ドラゴンボール』ではどのようにやり方を見直したのですか?
当時の『ジャンプ』編集部は、漫画がどんどんアニメ化されると、「キャラクターがすり減る」という考えだったけど、それはある意味で正しかった。アニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』はいろんな意味で大失敗だった。
『ドラゴンボール』は漫画連載で「天下一武道会」に進んで人気が出始めたころ、テレビ局から突然、「アニメ化したい」という話がきたんだ。フジテレビは当然のように「うちでやれる」と思っていた。でも、僕は即答でNO。東映アニメーションにもOKしなかった。
『Dr.スランプ』アニメ化の失敗を繰り返すわけにはいかない。自分が主導権を握るためには、どうしたらいいか考え抜いた。それで編集長に話をして、アニメ化に関しては編集部の代表として全て僕に任せてもらった。
――具体的に、どんな方法で進めていったのですか?
アニメ化したいという企業すべてに「企画書と放送枠を出してください」と声を掛けて、完全にオープンにした。つまりコンペにした。
ただ、最終的にはフジテレビと東映アニメに決まった。その理由はたったひとつ、フジテレビが持ってきた放送枠が水曜夜7時だったから。他局は週末の午前中だったのに対して、やっぱりゴールデンタイムで放送できるというのは大きかった。
でも、当時の東映アニメにはいい印象がなかった。原作に対する研究も分析もないし、リスペクトもない。さらに、実写畑から出向のプロデューサーだったから、アニメのことをちゃんと理解していなかったんだ。
――それでプロデューサーを交代させてしまったそうですね?
愛想はいい人なんだけど、出てくる作品を見れば一目瞭然だった。『ドラゴンボール』格闘モノなのに、アラレちゃんのほんわかしたイメージを引きずっていていた。
でも、僕が全てを仕切ることによって、脚本家やキャラクター設定、商品化までこちらがOKを出すまで一切進めないというルールを明確にしたんだ。
ルール化は東映アニメからすると、突拍子もないことだったかもしれない。だけど、最初からコンペしているから、こちらの要求をのまざるを得ないわけだよね。
僕にとって大事だったのは、原作の価値を守ること、漫画家に不利益を与えないこと。だって寝ないで仕事をしているのは原作者だもん。
――ちなみに、「取引先とうまくいかない」「交渉が難しい」といった悩みを抱えるビジネスパーソンに向けて、鳥嶋さん流の交渉のコツや、譲れないルールはありますか?