太陽が遮られることなく大地を照らしている図1を見てください。人はこの図のように、「自分を愛している」状態で生まれてきています。ですから原理的には、誰かに愛してもらって初めて愛を知るわけではないのです。ではなぜ、「親から十分に愛されなかった子どもは、愛する能力を持てないことが多い」のか。それは、「親から十分に愛されなかった」ということが、図4のような雲を生み出す原因になるからなのです。

図表同書より転載 拡大画像表示
図4同書より転載 拡大画像表示

 しかし、この雲の上には、それでも「自分を愛する」太陽が、当初と変わらずに存在しています。ですからここで、先ほどの誤った認識を次のように書き換えておかなければなりません。「自分を愛せなくなっている人も、自分を愛する働きや愛そのものを持っていないわけではない」と。

価値がある人間だから
その人は愛されるのか?

 自分を愛せない状態にある人は、自分が何か「価値のある存在」になれば人から愛されるのではないか、と考えていることも珍しくありません。自分が親から愛されなかったのは、自分が「価値」のない子どもだったからだと思い込んでしまったのが、その出発点になっています。自分のマイナスな分を何らかの価値を生み出して補えば、どうにか人並みのゼロレベルに持っていけるのではないか、と考え続けてしまいます。

 厄介なのは、のちになってそれが親の側の問題であったと気づいてもなお、この思い込みがそのまま残ってしまうところです。そもそも、親を否定できなかったので自分を否定したのが始まりなのですが、親を批判的に見ることができるようになっても、自己否定の思い込みがセットで外れてくれはしないのです。