こうした変化は医療分野に限らず、多くの業界で起きていて、AIの発展についてはいわゆる「シンギュラリティ(AIが人間の知能を超える転換点)」をめぐる議論も活発化しています。

 AIは人間を超えるのか、それとも超えることはないのか。この問いに対する明確な答えは、まだ出ていません。現時点のあなたの考えはどうでしょうか?

AIは人間の“すべて”を
超越する存在なのか

 子どもたちが大人になる頃、AIは脅威になっているのか、社会を支える協働のパートナーになっているのか。

 私自身は、そもそも人間を超えるという定義自体が曖昧だと捉えています。子どもたちの将来を考えるときに大切なのは、どの部分でAIが人間を超え、どの部分では超えられないのかを具体的に考えていくことではないでしょうか。

 データ処理や計算、パターン認識といった認知能力の面では、すでにAIが人間を上回っている分野が多く、大学入試の数学の試験では高校生の受験生よりもAIのほうが平均的に高得点を出しているという研究データもあります。

 しかし、AIには決定的に欠けている部分があります。それは「肉体」と「感情」です。

 カメラと画像処理技術の発達によって、人間の表情や体温、血圧の変化などから相手の感情を予測するAIはすでに存在していますが、それでも心の機微までは察することができません。

 目の前の人の機嫌がいいのか、悪いのか。悩み事があるのか、そうでもないのか。いいことがあったのか、どうなのか。AI自身が温かみのある触れ合いや他者への共感、喜びや悲しみといった感情そのものを持つことはないはずです。

 ここにAIと協働する将来を考えるときの大きなヒントがあります。

 例えば、私たちの学童保育の現場(編集部注/東京・神奈川で民間学童保育施設を運営する東急キッズベースキャンプ)にAIロボットが子どもたちの遊び相手として導入されたとしましょう。最初は大人気になると思いますが、すぐに飽きられてしまう様子が容易に想像できます。

 なぜなら、子どもたちが求めているのは、一緒に喜んでくれたり、笑ってくれたり、時には叱ってくれたり、一人ひとりの気持ちを汲み取ろうとしながら適切な対応をしてくれる遊び相手だからです。