100億円の損失を10億に抑えた男たちの決断
東京大学大学院卒業後、ゴールドマン・サックスに入社。30代にして上位数パーセントの幹部、マネージング・ディレクターに就任し、アジアのトレーディングチームを率い、巨額の利益を上げた。その後、200兆円超の運用残高を誇る世界有数の機関投資家・ゆうちょ銀行で投資戦略を牽引。そんなマーケットの最前線を知り尽くしたトップトレーダーが、個人投資家が一生使える「オルカン」「S&P500」の“次の投資術”を徹底指南した初の著書『最後に勝つ投資術【実践バイブル】 ゴールドマン・サックスの元トップトレーダーが明かす「株式投資のサバイバル戦略』(ダイヤモンド社)。投資初心者でも実践できるよう、徹底的にわかりやすく投資手法を体系化。ゴールドマン・サックス仕込みの「投資思考」「オルカン+4資産均等型」といった実践的なポートフォリオ(資産配分)の構築方法有望な個別株の見つけ方まで、すぐに役立つノウハウが満載!

【ゴールドマン・サックス】震災の大混乱の中で数十億円の利益を叩き出した…金融トレーダー冷静と狂気Photo: Adobe Stock

トレーディングフロアを揺るがした未曾有の地震

2011年3月11日14時46分、日本株式市場の大引け15分ほど前、突如として日本列島を襲った大地震は、当時、その六本木ヒルズ森タワー(東京・港区)の48階にあったゴールドマン・サックス(GS)のトレーディングフロアを激しく揺らしました。

危機の中の決断――500億円のポジションを守れ

本震に襲われた後のわずかな時間で、われわれ東京のトレーディングチームは、500億円以上の日本株の買い持ちポジションを保有していたと記憶しています。

あのときに何も手を打たずにいたならば、100億円程度の損失が生じていたかもしれません。

しかし、危機的な状況にありながらも、チーム一丸となってマーケットと対峙した結果、その日の取引では、ざっと10億円弱の損失にとどめました。

この結果について後日、GS上層部からお褒めの言葉をもらいましたが、損を出して褒められたのはリーマンショック以来のことでした。

誰よりも早く戻る、ボラティリティデスクの矜持

東日本大震災が起きた3月11日は金曜日でしたが、週が明けての3月14日、六本木ヒルズのオフィスに行くとチームの皆が出社していました。

週末のうちに家族を名古屋や大阪に退避させて、自分はすぐにトンボ返りしてきたのです。

同じ会社であっても他のチームでは、国外へ退避する人も多かったのですが、私たちボラティリティデスクのメンバーは、全員が東京オフィスにそろっていました。

チームごと香港に退避した組織もあると聞きましたが、私たちは国内にとどまり淡々と取引を再開したのです。

震災の混乱の下、数十億円の利益を叩き出す

トレーディングフロアのモニターに映っていたのは、東京電力福島第一原子力発電所(福島第一原発)の上空にヘリが飛び、放水する様子でした。

そんな状況であっても、その日の取引では、たしか数十億円の利益を出すことに成功しました。

あのような危機的な状況下で、損失を最小限にとどめるどころか、利益を生んだことは、今でも私の誇りになっています。

相場が急変動するときは危機ではあるものの、冷静な判断をし続ければ、収益を上げる最高のチャンスでもあるのです。

世界の混乱の中で光ったGS東京の戦略

2011年は、東日本大震災が起きた後も波乱続きの年でした。

2008年のリーマンショック後、世界中の政府と中央銀行がマネーをばらまいたツケがまわってきた年であり、米国の債務上限問題、欧州のソブリン債危機が起こり、市場は乱高下。

多くの投資銀行が業績不振に陥り、人員解雇が多発したことで、私のもとには解雇されつつあった数多くの競合他社のトレーダーの履歴書が届いていました。

「アジアのデリバティブトレーディングにおいてGSが最強」

GSの業績は堅調でした。業績不振が続く他社がロスカットのために売り急ぐポジションをとるなか、われわれのデスクがあえて積極的に買い増したことで、さらに収益を上げることに成功

結果的に2011年は、私のキャリアで最高の収益を上げた年になったのです。

正確な記録はありませんが、2011年は人材コンサルタントなどの間で、「アジアのデリバティブトレーディングにおいてGSが最強」と認知された年であったと記憶しています。

※本稿は『最後に勝つ投資術【実践バイブル】 ゴールドマン・サックスの元トップトレーダーが明かす「株式投資のサバイバル戦略』ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。