体はミイラ状となり
「生ける屍」の如くになる
この間題について、陸軍軍医中将の梛野巌(なぎの・いつき)は、「戦争栄養失調論」と題された論文を執筆している。刊行年は未詳で、「陸軍軍医学校(北支那方面軍編)」と表紙に記されたタイプ印刷の資料である。
梛野は、この論文のなかで、「高度の羸痩(るいそう)」(痩せ衰えること)、食欲不振、下痢を「三主徴候とす」るとした上で、患者の状況について、「下痢止まず漸次全身栄養の低下を来し、羸痩加わり皮下脂肪消失し筋肉細小となり」、ついに体はミイラ状となり、「脈搏緩徐、体温正常以下となり、四肢厭冷(けつれい)し、顔貌無表情となり活気を失い、嗜眠性となり惰眠を貧りほとんど言葉を発せず、『生ける屍』の如く」なる、ついには燃えつきるロウソクの「火の消ゆるが如く鬼籍に入る」、時には栄養の失調がそれほど深刻でないもかかわらず、「突然虚脱状態となり、心臓麻痺もしくは呼吸麻痺を呈し死亡するものあり」と書いている。きわめて生々しい描写である。
伝染病原因説も有力だったが
それだけでは説明がつかない
こうした患者が多発したため、「陸軍では戦線で長期にわたり食糧の不足と身心の過労のため、高度の栄養障害を起したものを、ひとまず『戦争栄養失調症』と称していたが、これらの患者にアメーバ赤痢、細菌性赤痢、マラリア等の疾患を併発している場合が多かったので、研究初期の段階では意見がまとまら」ず、伝染病原因説も有力だった(『戦争栄養失調症関係資料』)。
しかし、梛野軍医中将が前掲論文のなかで、「昭和17年頃より戦闘行動に全く関係なく内地におけると同様なる教育訓練により該症と全く同一の症状経過を取るもの発生し逐年増加の傾向あり。これ全く意外なる事実なり」と指摘しているように、苛酷な戦場の状況と伝染病などの罹患だけで原因を説明することには無理があった。