史実のやなせたかしは
1959年に海外出版も果たしていた

 ではここで毎度おなじみ「史実では」コーナー、いってみよう。

 史実だと、愛する『メイ犬BON』は昭和34年に自費出版されている。さらにそれは同年、海外でも販売された。その記事を載せた高知新聞には「商業美術展で一等賞をもらったり、資生堂賞など連続受賞しているうちに、一級の漫画家になった」とある(2025年4月16日高知新聞プラスより)。

 すごい活躍ではないか。新聞といえど、記事なんて盛り気味に書くのが常だから、実際のやなせが商業美術家としての才能はあっても当時漫画家として一級だったかはわからない。でもそれなりに活躍していたにちがいない。なのに、なんでドラマの嵩はこんなに冴えないのか。

 モデルのやなせたかしが『メイ犬BON』を自力で世に出し、海外進出も果たした翌年の1960年。みんな服装やヘアスタイルも変わって、窓のカーテンも明るい柄になり、テレビも買ったが、嵩はいっこうに売れていない。

 蘭子(河合優実)は会社に勤めながら、映画雑誌に映画評を投稿し、それが認められて映画評の連載をすることになって、辛口批評が売れ始めていた。この頃の映画雑誌といったらキネマ旬報であろうか。蘭子の話し方が少し早口になっている。

「それに比べて俺は……」
「みんなすごいですね」
「これでいいわけないよなあ」

 嵩のこういうぼやきはすっかりおなじみ。これはもう、ぼやきコント、売れないコントを目指しているのだと思う。

 嵩が健太郎(高橋文哉)と暗い話をしているとき、自宅にいせたくや(大森元貴)が六原永輔(藤堂日向)を連れて訪れていた。嵩に日本ではじめてのミュージカルの舞台美術を頼みたいと言うのだ。

 帰宅した嵩はのぶから話を聞いて、舞台美術なんてやったことがないからと躊躇するが、「たっすいがーはいかん」と久しぶりに言われて少しうれしい。ドMか。

 そして、嵩は稽古場へ向かう。

 そこでは『勉強のチャチャチャ』を出演者が歌って踊っていた。こちらは史実では1963年発売で、永六輔作詞、いずみたく作曲、坂本九歌の豪華布陣であった。

 いせたくやは、もっと楽しそうにと要求する。なかなか厳しい稽古場。

 嵩はまだ引き受けるとも言っていないのに、六原は強引に引き入れようとして、嵩を困惑させる。しかも、ほかの仕事を辞めてこの舞台に集中してほしいと言うのだ。

 やりたいことのためにほかのことはなげうって集中する、その圧倒的な熱量を前にして「ぼくは普通の人間なんだよ」と腰が引けてしまう嵩。でも、その才能たちが嵩に何かを感じて、こうやって誘っているのだ。

史実では海外出版も!なのに嵩は“売れない漫画家”のまま…なぜ?【あんぱん第98回】