史実では「困ったときのやなせさん」――嵩は“ファイティングやない” 漫画を描けぬまま走り出したその理由【あんぱん第101回】

“ファイティングやない”と
「困ったときのやなせさん」

 嵩は健太郎(高橋文哉)に、どんな仕事も引き受けてやっつけるから「ファイティングやない」と呼ばれていると自虐する。弱そうなのに「ファイティング」。

 嵩がそのポーズをとっているとき、背後の棚に懸垂人形が飾ってある。鉄棒にぶら下がっている人形の頑張りと嵩が重なって見えた。

 嵩のモデルのやなせたかしは、ドラマほど漫画を描いていないわけではなく、それなりに漫画を描いている。1960年には漫画雑誌の表紙を1年連続で担当しているほか、古巣の高知新聞で漫画を連載している。漫画以外のいろいろな仕事をしているので「困ったときのやなせさん」と呼ばれていた。

史実では「手のひらを太陽に」を
歌ったのは宮城まり子

「手のひらを太陽に」を歌った白鳥玉恵(久保史緒里)が嵩に自身のリサイタルの構成をやってくれと頼んでくる。

 玉恵は嵩を「先生」と呼ぶが、先生と呼ばないでほしいと嵩が拒むと「嵩さん」に変えた。これがのちに問題になるとは……。

 あるとき、玉恵が嵩の家に来て打ち合わせをしているとき、のぶが帰宅。玉恵が「嵩さん」と呼んでいるのを聞いて眉をひそめる。そりゃそうだ。しかも、のぶは会社をクビになった直後で、嵩は若くきれいな女優と楽しそうに見え、もやもやしてしまうのは無理もない。

 史実では「手のひらを太陽に」を歌ったのは、宮城まり子。1961年、やなせたかしが現テレビ朝日のニュースショーの構成をしていたときに、その番組で宮城まり子が歌った。

 宮城まり子とやなせが知り合ったのは、漫画雑誌の仕事で彼女にインタビューしたのがきっかけだった。1962年になると、NHK『みんなのうた』で歌が放送され、65年にはボニージャックスが歌ってレコード化、ジャケットは当然、やなせが描いた。

 宮城まり子はねむの木学園の理事長・園長・校長という福祉活動家のイメージも強いが、当時、俳優、歌手として大人気だった。日本初の長編カラーアニメ『白蛇伝』(58年)では声優も務めている。

『白蛇伝』は『なつぞら』(19年度後期)では『白蛇姫』として登場している。そこでは亀山蘭子(鈴木杏樹)と豊富遊声(山寺宏一)という俳優が声をやったことになっていた。

 宮城まり子をモデルにしたであろう白鳥玉恵を演じている久保史緒里の口調が、昭和の映画俳優を再現している感じで巧い。現代口語でなく当時を再現しようとする心意気やよし。