近年に至っては、吸える場所の方がむしろ極端に少なくなっている状況である。喫煙習慣は、もはや現代において急速に滅びつつある文化の一つといってもよいのだろう。
道に落ちたバナナの皮で
滑ってコケるがリアルにあった
2005(平成17)年に大ヒットした映画『ALWAYS三丁目の夕日』では、昭和30年代の街並みがたくさん出てくるが、あれを観て違和感を覚えた高齢者も多かったのではないだろうか。
そもそも、昭和40年代までの日本はどこをみたって、あんなにキレイではなかったのだ。街はゴミだらけ、道は吸い殻と吐き捨てられたチューインガムが散乱していて、歩いていると時々靴の裏にガムが貼り付いて動けなくなったりもした。
夏はアイスバーを食べると、スティックをそのまま投げ捨てる人が大半だったし、むいた皮を捨てながら甘栗を食べている人もよくみかけられた。
昔の漫画では、よく道に落ちているバナナの皮で滑って転ぶという描写があったが、道に食べ物のゴミが落ちていることが日常的な光景だったからこそ成り立つ表現であって、今の若者ならばその前提自体、すでに理解は不可能であろう。
昭和40年代の終わりまで、ほとんどの人は川を「一種のゴミ捨て場」のように考えていた。今とは違って、汚いもの、いらないもの、有害なもの、臭いものは、すべて川か海に流すのが当然とされていたのである。
街なかでも道の両側は側溝になっていることが多く、各家庭の生活排水がそのまま流されていた。さらには昭和40年代半ばまではほとんどフタもされていなかったため、三輪車や自転車に乗った子供がよく転落してケガをしたり汚物まみれになったりしていた。また、そうした溝は半月も経つと沈殿物でヘドロだらけになるため、各町内会では掻き出す作業が必須となっていた。
生活排水は、こうした側溝をへて工場排水などとともにそのまま周辺の川に流されていたため、東京23区内の中小河川は、当時ほぼすべてが真っ黒な「ドブ川」と化していた。
家庭の主婦が橋の上から生ゴミを捨てたり、バキュームカーが糞尿を流したりする光景もみられ、中にはテレビ・冷蔵庫・自転車などの粗大ゴミを投げ捨てるロクデナシもいたりした。