そうしたこともあって、多くの河川が合流する隅田川や多摩川などはさらに深刻な状態となっており、川面からは凄まじい悪臭が漂っていた。

 隅田川は1963(昭和38)年に溶存酸素ゼロの「死の川」と化しており、多摩川も泡だらけになった流れや死んだ魚が浮かぶ映像がしばしばニュースで流れていたため、都民からは「見捨てられた川」扱いされていた。

 しかし、やがて公害問題がクローズアップされ、下水道が普及し始めると、昭和50年頃からは「川をきれいに」という考え方も広まって、各河川はウソのように浄化され始めた。

 今では多摩川でもアユが遡上しているし、都内中小河川でも水遊びが可能になっているところが少なくない。昭和時代と現在を比較しても、この点に関してはまったく文句なしに改善された一面といってよいだろう。

神社の鳥居マークもおかまいなしで
立ち小便は男性にとって当たり前

 かつては街を歩いていると、男が塀や電柱に向かって立ち小便している風景が至るところでみられた。特に、あまり人の通らない路地に長い塀や壁があったりすると、だいたいそこは小便の跡だらけになっていた。

 たしかに今と違ってコンビニもあまりなく、トイレの数自体も少なかったが、それより大半の男が「小便はしたくなったらそこでするもの」との認識を持っていたのである。

『不適切な昭和』書影『不適切な昭和』(葛城明彦、中央公論新社)

 頻繁に被害に遭っていた家では、よく該当箇所に神社の鳥居マークを描いたりしていたが、みた限りではあまり効果も上がっていない様子であった。

 余談であるが、筆者が通っていた高校でも校舎の脇には長い金網が続いている箇所があって、そこが「立ち小便の名所」と化していた。

 ある時、中年の男がやはり立ち小便をしていたのだが、ランニング途中の女子テニス部員たちが偶然通り掛かってそれを目撃し、「キャーッ」ともの凄い悲鳴を上げていたことがあった。

 男は焦りまくっていたが、すぐに小便を止められず、結局は左右に振り撒きながら小走りになって逃げ出していた。もう半世紀近く前のことだが、筆者は今でもたまにあのコミカルな光景を懐かしく思い出したりすることがある。