
列島各地でクマによる被害が相次いでいる。8月には北海道・知床半島の羅臼岳登山道で、20代の男性がクマに襲われ死亡する痛ましい事件も発生した。クマに突然遭遇した時、どうすればいいのか。猟師歴50年のベテランに、クマが人を襲う時の「初動」と「生死を分ける行動」について教えてもらった。(フリーライター 伊藤博之)
ヒグマとの距離はわずか3メートル
「ああ、やられる」と思ったその時
北海道紋別郡西興部村の山中の沢沿いで、エゾシカ猟のガイドをしていた中原慎一さんは、ハンターが急所を外して逃げた手負いのエゾシカを捜していた。
初冬に入り、吐いた息が白くなる。うっすら積もった雪を踏みしめながら300メートルほど沢沿いを上ると、近くの上側の斜面を捜していたエゾシカが血を流しながら駆け抜けていった。そして、なんとその後を冬眠前のヒグマが追っていたのである。
すると、中原さんの姿に気づいたヒグマはエゾシカを追うのをやめ、中原さんのほうへ歩みを転じた。逃げたら、獲物の後を追うヒグマの習性を刺激するだけ。たとえ逃げても、100メートルを6秒台の猛スピードで走るヒグマにすぐ追い付かれる。
中原さんは、その場に立ち続けた。ベテランの猟師でもある中原さんだったが、その時は愛用のライフル銃を持ち合わせていない。とうとうヒグマの鼻息を聞き取れる距離になってしまった。
「3メートルほどまで近づいてきて、『ああ、やられるな』と思いました。でも、手に獲物のエゾシカを運ぶためのロープを握っていたんですね。そのロープを『ビューン、ビューン』と音を立てながら回しました。するとヒグマの足がピタッと止まったんです。それから数秒ほど同じ状況が続いたあと、私から目をそらしたヒグマは後ろに向き直り、自分が来た道筋を戻っていきました」
猟師歴は50年
ヒグマ遭遇の現場で見たもの
現在74歳の中原さんは20代の時に、クマ撃ちの名人であった叔父さんに誘われ、猟銃の所持許可を取って猟師の仲間入りをした。すでに猟師歴は50年に及ぶ。
生まれ育った西興部村は、総面積308.08平方キロメートルのうち森林が89%を占める。そうした大自然のなかで、昔から狩猟は村民にとって身近な存在であり続けてきた。
翌朝、村の猟区の管理者も務める中原さんは、仲間の猟師10人と一緒にヒグマと遭遇した現場に戻り、そこに残されたヒグマと自分の足跡を見て、奇跡的に命拾いできたのだと実感した。そうした中原さんだからこそ、クマと遭遇した際のアドバイスには重みがある。