お茶目な女性写真はイメージです Photo:PIXTA

時代とともに、言葉に対する世間の認識は変わってゆくものだ。例えば、江戸時代後期にくだけた会話でよく用いられていた「ほんに」という強調言葉は、約130年後の夏目漱石の時代には「馬鹿丁寧な言葉」として捉えられるようになり、近代以降は衰退していった。90年代末頃から定着している「めちゃめちゃ」や、「超」といった俗語も、年月が経てばいつかは「若者言葉」ではなくなってしまうかもしれない。※本稿は、国立国語研究所編『日本語の大疑問2』(幻冬舎新書)の、市村太郎による執筆箇所を抜粋・編集したものです。

「非常に」のような程度副詞
「本当に」のような陳述副詞

日本語の疑問
「めちゃめちゃ」「超」のような俗な強調言葉は昔もあったのですか

市村太郎先生の回答
「めちゃめちゃ」や「超」は、「今日の話めちゃめちゃよかった」「その服かっこいい」のように、後に形容詞や形容動詞などの状態性を持つ語が来て、その状態の程度の甚だしさを表す程度副詞です。

 この類には「とても」「非常に」「随分」など様々な語がありますが、「程度の甚だしさ」を表す点では似たような意味を持つため、その使い分けを説明するのは簡単ではありません。

 渡辺(*注1)が挙げたように、「うれしい」などの一人称の感情を表す形容詞との結びつきや、「今朝は昨日よりも多少涼しい」のような比較構文での用いられやすさ、評価のプラス・マイナスなどの尺度での使い分けが考えられますが、それ以外にも、俗な言い方なのか硬い文章語なのかというような文体的特徴も、各語の役割分担に大きく関わっていると考えられます。

 例えば(1)「去年の冬はめっちゃ寒かった」という例文と、(2)「去年の冬は非常に寒かった」という例文があったとき、「どちらがより若者っぽい会話文で、どちらがより書き言葉らしい文章か」と聞かれたら、迷わず(1)が会話文で(2)が書き言葉と答えるでしょう。

 また、強調に使われる言葉は程度副詞だけではありません。程度に限らず文意を強調する「本当に」「まことに」のような陳述副詞といわれる語もあります。例えば公的機関の謝罪会見で「まことに(申し訳ありません)」を聞く機会はあっても「マジで(申し訳ないっす)」は聞かない、といったようにこれらにも文体差や場面差があります。

 このような現代語の状況に鑑みれば、当然歴史的にも文体差があったことが想定されます。もちろん現代と違って資料が豊富にあるわけではありませんから、ある時代においてどのくらい「俗」であったかを詳しく測るのは容易ではありません。

 ただ、主として話し言葉に現れやすいか、書き言葉に現れやすいかくらいならばわかることがあります。ここでは、その一例として、「ほんに」という語の、江戸時代後期での使用状況を挙げましょう。

*注1 渡辺実(2002)『国語意味論』塙書房