250826-01_Tochigi_02Tochigi Photo:NISSAN

日産自動車「GT-R」が8月26日に生産を終了しました。3世代にわたってファンに愛された歴史と背景を写真とともに振り返ります。名車であり、3度の復活を遂げたGT-R。4度目の復活を実現するには、何が大切でしょうか?(モータージャーナリスト/安全運転インストラクター 諸星陽一)

誤解されがちな日産「GT-R」生産終了

 日産自動車が誇るスポーツカー、「GT-R」が2025年8月26日をもって生産終了しました。日産の経営状態が芳しくないのが原因だと勘違いされがちですが、そうではなく、衝突軽減ブレーキの装着が義務付けられるなど法規制対応が難しくなったこと、一部の電子部品の入手が困難になったことなど外的要因によるものです。ちなみにトヨタ自動車の「スープラ」も法規対応の難しさから生産終了しています。

 さて、実はGT-Rという名前が付くクルマは今回で3回目の生産中止です。その歴史と背景を振り返ってみましょう。

◆直列6気筒2リットル自然吸気エンジン時代

 初代GT-Rは、「スカイライン」のバリエーションとして1969年に登場します。スカイラインは元々、日産のクルマではなく、57年に富士精密工業で製造されたモデルが初代です。富士精密工業は後にプリンス自動車工業と名を変え、66年に日産と合併したことでスカイラインも日産のクルマとなります。

 1968年には日産の元でフルモデルチェンジし、スカイラインは3代目となります。そのスタイルから「ハコスカ」の愛称で呼ばれます。69年にこのハコスカにS20型という2リットルDOHC直列6気筒自然吸気エンジンが積まれ、GT-Rの名称が与えられました。

 このS20型エンジンはすごい代物でした。S20型エンジンはプリンス時代のレーシングカー、「プリンスR301」に搭載されていたGR8型エンジンをデチューンしたもの。当時、市販車ではあり得ない1気筒当たり4バルブシステムを採用していました。最高出力は160馬力(グロス)で、当時としてはずば抜けた性能です。