何となく褒められると嬉しい、みんなが持っているから自分にないと恥ずかしいというものが大きい人ほど、“世間”に惑わされて何のために生きているのかわからなくなってしまいますから。

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 しかし、「何かになりたい」「何かをやりたい」――それが本当に好きなことなのか、それとも世間の評価に惑わされて自分が希望しているのかが、わからない時もある。
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「クライアント」をしぼることです。

「本当にやりたいことなのか」を
知るための簡単な方法

 世間という漠然としたもの、「みんなに褒められたい」というのは、ある意味闇の中に進んでいくようなもの。私は「ある3人に褒められたい」としぼりました。有名人でも家族でも誰でもいいと思いますが、自分が尊敬している人や憧れている人をイメージするといいでしょう。

 この3人をしぼり込むプロセスに、“自分はこういう人になりたいんだ、こういう人に褒められたいんだ”という価値観も現れると思います。私は本でしか知らない歴史上の人物を思い描き、この人たちが評価しそうなことは何だろうかと考えました。

 きっとこの3人は「私がどんな服を着ているか」は、大して評価軸に入れないでしょう。そうすると服はどうでも良くなりますし、「やらなくてはいけないこと」はそんなに多くないと気づきます。

 つまり「世間」という漠然としたものを他者評価として重視しすぎない、「しぼり込んでいくこと」に尽きます。昔はそれが「お天道様」など、ちょっと宗教的なものでもあったのかもしれません。

「向いていない」仕事は辞めてもいいが
「忠誠心の履歴」は大切に

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 世間という漠然とした「他者評価」の沼にはまらず、ライフワークに戦略的に取り組む。その上で「やっぱりこの職場(職種)は自分に向いていない」となったら、「辞めてもいい」と為末さんは話す。

 ただしそこで大事になってくるのが「忠誠心の履歴」であるという。
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 私の人生はフリーランス的なので、この感覚が弱いと自分で思うのですが、組織にいる方々と接していると「この人は最終的にどちらを向いて仕事をしているのか」を重んじるところがあると思います。いわゆる「忠誠心」ですね。