キン消しが始まったのは田中さんが面白いと思ったから
――「キン消し」はどのように始まったんですか?
先代:こっちに越してきた時にはカプセルの自販機事業をやってたんですよね。クワガタがバンダイに収めたカプセルを私達自販機屋さんが仕入れて、お店に自販機を関東近辺に何百台と設置して、売れたらお金を回収して新しい商品を補充して…というね。
それを買ってくれてたお得意さんが「キン肉マンが売れそうなんでキン肉マンやってくれませんかね?」って鍬形勝三さんのとこに来たんです。田中さんっていうんですけど「面白いから作ってくださいよ」って。
ちょうどあの頃はドラえもんを作ってて、次何やろうかなんて考える最中だった。「じゃあやってみるかな」って鍬形がバンダイに行ったのがキン消しのきっかけ。
うちも工場に機械入れたから製造もやってみようじゃないかと言ってね。第1号がキン肉マンの製造だった。昭和56年ですね。当時からすごい人気でしたよねえ。発売したら1カ月もたたないうちにてんてこ舞い。
孝一さん:鍬形加工でやってたのは生産管理ですね。原型を作ってそれを元に金型を手配してうちに回して、うちはそれで製造して納める。
先代:うちでやるのは人形作ってカプセルに詰める会社に納めるまで。キン消しだけで大きい段ボールで大体1万5000カートン(箱)ぐらいの量になるんです。1箱にカプセルが600個。人形が2個入ってましたね。
車に轢かれてもキン消しを作っていた
――1回の納品に1800万体の人形…1カ月だと1日60万個。すごい数ですね。
先代 うちだけだと成形が間に合わなくて、ほとんど外注さん使ってました。外注さんももうみんな昼夜寝ないでやるぐらい。しかも色んなキャラクターがその頃ヒットしちゃってたから。ガンダムもあるしアラレちゃんもあるし5アイテムぐらいあって。
外注さんにも「もう絶対、正月以外は休んじゃダメだ」って言いましたよ。休んでたら間に合わないんですよ。残業がダメだとかそういう時代でもなかったし、言わなくてもやらなきゃいけない感じになってましたよね。私らも休めないよね。年中もう長野だ茨城だなんて見に行って。東京都にあんまりこういう整形屋さんってないですからね。
――見に行くのはなぜですか?
先代 中には材料ごまかす人もいるんですよ。ランナー(※つながった部分)まで納めないといけないのにズルしちゃったり。年中それ見張って。社員は3人いたけど1人で見回るからそんなに行けないですよ。こっちも24時間作ってますから。24時間を2人で。朝の7時になったら交代。それだけほぼ毎月のように新商品が出てたんですね。

孝一さん:キン肉マンパート15を作ってたら翌月にはもうパート16が出る。1カ月しか生産する時間がないから。製造は時間かけないと作れないんで。全盛期の頃はそれを金型を何十型も作って、何社もの成型屋さんに振って、24時間フル稼働で回してもらう。1カ月で1万5000箱を作るとそうなりますよね。
先代:私達がセットしてくれる会社に納めるでしょ。そっからすぐ全国に出荷されるわけ。それを買った人が機械にかけたら、もうあっちゅう間になくなっちゃう。それでも「もっと作れ!」「もっと作れ!」って。はじめは8時間ぐらいだけど、今度16時間、24時間やってくれって。こっちはもう奴隷みたいなもんで(笑)。
朝の7時になったら交代して、次の朝7時まで。そいつがまた24時間で出てきて。総武線で通勤してて、景色がこっちから流れてたのが気づいたら逆に流れててね。「あれ? おっかしいな」って(笑)。眠くて寝ちゃうから折り返してたんですよね。
朝、バイクで通勤してたんですけど、あんまり寝てないから鈍ってたんでしょうね。車と激突して大怪我してね。でも24時間で交代しないと生産が間に合わないから、休めない。

――「キン消し」を生産したんですね(笑)。
先代 左からバーンって当てられたから、左手はもうほとんど使えなくて。はしごで登ってホッパーっちゅうのに材料を入れないといけないんですけど、25キロの材料袋を片手で担いで「あたたたたた!」って(笑)。そりゃ痛いですよ。鉄の塊が、バーンってぶつかってきたんだから。
――轢かれてもキン消しの材料流し込むんですね(笑)。日本に子どもが多かった頃、おもちゃ作ってる人たちはそんなことになってたんだ。そこからある程度休んだんですか?
先代 休めないですよ。休んだら生産間に合わないから。治してる暇もなかった。