正直当時の私はやりたいことも学びたいこともなく、ただ酒を飲んで小説を読みまくっているだけの無気力人間であり、「社会学ならまあ何やってもアリかな。宮台真司とか楽しそうに生きてるし」というクソみたいな動機でコースを選んだ。
そしてそれは野々宮も一緒だった。彼もまた受験でバーンアウトした、学問に何の興味も持てない人間だったのである。
就職の季節になると
京大生は目の色を変える
そんな調子で、いわゆる「人間力」は高いものの全体的にやる気のなかった野々宮だったが、就活が始まった瞬間にはっきりギアが変わった。
「京大ではみんなダルそうに過ごしていたのに就活が始まると雰囲気が一変した」と私はいろんなところで語っているが、その最大の象徴が野々宮だった。
彼はマスコミ系を受けまくりたいということで何やらデカい就職予備校に通い出し、TOEICの点数も上げておきたいと言ってバキバキに勉強し始めたのである。
私はその豹変ぶりに焦った。焦りまくった。当時就活にもっとも必要だと言われていた「人間力」に自信のなかった私は、とりあえずTOEICの点数を上げておいて損はないと思い、野々宮と一緒に勉強することにした。
だが、その時になぜこの男が京大に入れたのかを思い知らされることになった。野々宮は一度勉強すると決めると、誇張抜きで倒れるまでやるのである。
私も長時間勉強には耐性のある方だったが、受験時代でも10時間を超えるとキツくなるなという感じだった。しかし野々宮は、本当に20時間耐久勉強マラソンみたいな極限の努力をやってのけるのだ。
何度も野々宮と一緒に勉強する中で、私が彼と同じだけの時間走り切れたことはついに一度もなかった。
ただ、野々宮の20時間勉強法ははっきり言って効率が悪かったと思う。彼はそうやってほとんど気絶するまで勉強するわけだが、その後反動でめちゃくちゃ寝てしまうのである。