
かつて京都の超名門進学校に通い、京大合格を目指していた筆者。周囲は天才と秀才だらけだったが、その中で異彩をはなつ男がいた。彼の成績は常にワースト5。関関同立の合格すら危ういにもかかわらず、なぜか「東大文1を目指す」と言って聞かなかった「意志の人」である。周囲に笑われながらも独自の国立大対策を続ける彼に、奇跡は起きたのか?※本稿は、佐川恭一『学歴狂の詩』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。
成績は最低クラスなのに
頑なに東大を目指した永森
私たちのコースは2クラスあって合計104人の編成だったが、100〜104位の5人は「ゴレンジャイ」と呼ばれていた(もちろん「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコント・世紀末戦隊ゴレンジャイが由来である。当時すでにごっつええ感じの放送は終わっていたが、ダウンタウンの影響力はこの監獄のような高校の内部にまで浸透していたのだ)。
そして、ゴレンジャイのほぼ固定メンバーとなってしまったのが永森だった。
だが、そんな永森がどこを目指していたかと言えば、なんと東大文1だった。私や他の上位陣が「まあ、必死でやってギリ京大かな」と感じ始めた高1の末頃になっても、永森は「東大文1」と言ってはばからなかった。
ずっとゴレンジャイから外れないので、みんなさすがに冗談かと思い馬鹿にしていたが、永森の目を見た者は誰もが「こいつは本気で東大文1を目指している」と感じた。いくらみんなに馬鹿にされ笑われても、目がまったく死んでいないのである。
多くの者が永森から不気味な力を感じていた背景には、一応彼の過去の歩みも関係している。