
今でこそアニメオタクが市民権を得ているものの、ファーストガンダムが放映された1979年はそうではなかった。アニメという存在が世間から白い目で見られている時代において、「若者の文化」へと認識が変わったきっかけはなんだったのだろうか。長年アニメ業界に携わってきたプロデューサーが、時代の転換点を振り返る。※本稿は、井上伸一郎(著)、CLAMP(イラスト)、宇野常寛(聞き手・解説)『メディアミックスの悪魔 井上伸一郎のおたく文化史』(星海社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
オタク向けのガンダムを
メジャーにするには
1981年になると小牧雅伸編集長は日本サンライズの仕事が増えていきました。この年の3月14日に劇場版『機動戦士ガンダムI』が公開されることになり、その宣伝の中核を任されていたのです。
前年に映画化が発表された時は、私を含めて何人かの『ガンダム』好きを集めて、「どうやったらガンダムがメジャーになるか考えよう」と、宣伝会議の真似事をやったこともありました。
「子供に分かるようにするにはどうするか。ガンダムがビームサーベルを抜いて見得を切る時に、『きどうせんし、ガーンダムッ!』と叫べばいいんじゃないか」など、冗談とも本気ともつかないアイデアを語っていたのが印象的でした。
小牧さんが関わっていた宣伝イベントこそが、伝説のイベント「アニメ新世紀宣言」です。このイベントは日本サンライズの野辺忠彦宣伝プロデューサーのアイデアでした。その実行部隊を指揮していたのが小牧さんです。
映画が公開される直前、2月22日に新宿アルタ前広場で行われました。このイベントは富野喜幸監督以下のメーンスタッフが登壇するほか、ファンのパワーを見せつけるために現場のセッティングにアニメファンの学生が駆り出されていました。