デジタル化によって
「余白のない世界」に

 しかしデジタルデバイスの進化が、心身の余裕をもたらしてくれるはずの余白の時間をどんどん奪い取っていきます。

 通信機器やデジタルデバイスが登場したことによって、現代ではオンラインでミーティングや商談が行われるようになりました。1つの商談を終えた直後に別の商談を入れることも可能になりました。

 昭和の時代なら1日に3~4件だった商談が、インターネットの発達によって1日に7件も8件もこなせるようになってしまったのです。商談、会議、デスクワーク、商談、会議、デスクワークといった具合に、次々とタスクをこなさなければなりません。

 たまたま空きの時間ができたときに一息つこうと思っていても、スケジュールが社内全体で共有されているので、その隙間時間に予定を入れられてしまいます。

 人間は基本的にシングルタスクしかできないのですが、デジタルデバイスの利用においては当然のようにマルチタスクが求められます。私たちはそれについていかなければならないのです。

 なにしろ仕事が終わったオフの時間でも、スマホやパソコンでメールのチェックができてしまいます。オフの時間、ひょっとしたら寝るベッドの中でも仕事のメールを見ているかたがいるかもしれません。

 つまり、現代に生きる私たちこそ、まったく余白のない世界で24時間戦わされているということになります。その結果、これまでとは違うタイプの疲労を抱え込むことになりました。

 昭和は、いまだ肉体労働の時代だったといってよいでしょう。しかし、平成を経て令和になると時代が大きく変わり、頭脳労働がメインの時代となりました。一日中肉体労働を続けていれば体は疲れますが、家に帰ればしっかり眠れました。生体リズムも乱れません。寝れば肉体的疲労は回復していたでしょう。

 しかし現代では、体を使うよりも頭を酷使する仕事が大半となりました。デスクワーク中心であるため、体自体はそれほどの疲労を感じていませんが、そのかわり頭だけが疲れています。しかも、オフの時間になっても脳の興奮状態が続いており、私たちの生体リズムも乱れがち。このような状態ですと、横になって休んだり、眠ったりするだけでは、なかなか疲労がとれないのです。