加藤には授業を受ける権利がある。それにも拘らず、加藤が悪い生徒だからという理由で放ってしまうというのは、先生が本当に大切にするべき教育の本質的な部分を放棄していることになりはしないか?不良だとレッテルを貼って、放っておいていいのか?
金八先生が問いかけるのは、そういうテーマである。これは、社会全体に対する問いかけでもある。要するに「優秀な生徒を伸ばす教育でいいのか?いろんなきっかけで『不良』と呼ばれる生徒になってしまった10代を、見捨てていいのか?」というものだ。
「人間として向き合ってほしい」
大人の暴力性に反旗を翻した生徒
さて、ちょっと脱線するがこの「金八先生」第2シリーズは、このメインテーマに本気の本気の本気で向き合っていて、「え、そこまで描くの!?」というくらい突っ込んだ話になっている。加藤のもともとの母校・荒谷二中は依然として「腐ったミカンの方程式」を掲げ、不良や落ちこぼれに対する締め付けをどんどん厳しくしていく。
そして荒谷二中の不良は、助けを求めて昔の仲間である加藤の前に現れる。加藤は悩むが、荒谷二中に殴り込み、校長と教頭を放送室に監禁する。視聴者としては「いや何してるんだ加藤!?」という展開だが、学生運動とその後の校内暴力で荒れた時代だったので、この展開も時代背景的には一定程度、理解できなくもない。
そして、ドラマ史に残る名シーンに繋がる。金八先生から言ってもらったことを、荒谷二中の先生たちに語り、「俺たちと人間として向き合ってくれ」とお願いする。
加藤のその言葉が通じたのか、校長は自分たちの非を認め、謝罪をする。その声を聞いて荒谷二中の生徒は大喜び。「加藤!加藤!」という声が校内に響き渡るが、そこに急に警察が入ってくる。
ここでいきなり、すべての声・すべての音が消え、中島みゆきの「世情」が流れる。静かな歌でありながら、圧倒的なエネルギーを持つ歌声が流れる中で、画面ではすべてがスローモーションで展開していく。
警察に逮捕されるも無抵抗の加藤、逃げ惑いながらも捕まっていく生徒たち、叫ぶ金八先生、そして、移送車に乗せられて送られる加藤のことを、泣きながら走って追う加藤の母親…。
もちろん物語はこのまま終わらず、逮捕された加藤たちに対して、君塚校長の奮闘や放送を聞いていた近隣住民・保護者たちからの声もあり、ちゃんと釈放されて、金八先生が加藤たちと抱き合い、「お前たちは俺の生徒だ!」と力強く言い放ったのであった。