岸本は、荒っぽい人物ではあるものの、割とまともに話ができる人として描かれている。そんな人物が、中学までの教育を振り返ってそんな風に語っているシーンは、視聴者も「まあ、確かになぁ」と思ってしまう。

 だがそんな岸本にも、手を差し伸べてくれた先生がいた。金八先生の同僚の上林先生だった。金八先生は、「リーダー、君に上林先生がいたように、加藤にも俺を預けてくれないか」とお願いをする。リーダーはそれを承諾し、加藤は金八先生に預けられ、真っ当になっていく。

金八先生の「腐ったミカンの方程式」
不良は切り捨てれば良いのか?

 順番は前後するが、ここに行く前に、金八先生に対してある人物が訪ねてきていた。それは、加藤の前の担任である(荒谷二中の)米倉先生だった。その米倉先生が語った言葉こそが、「腐ったミカンの方程式」だった。

「ミカン箱の中にカビの生えたミカンが1つでもあれば、他のミカンにもカビが繁殖し、結果的に全部のミカンがダメになってしまう。同じように、クラスの中に1人でもダメな生徒がいれば、生徒全員がダメになってしまう。だからこそ、腐ったミカンは早めに取り除くべき」

 それが、荒谷二中の考え方であり、加藤は「腐ったミカン」として桜中学に放り出されたのだと。自分(=米倉先生)はその方程式を間違っていると思うが、庇い切れなかったのだ、と。たしかに岸本の言っていた通り、彼らは「出来の悪い生徒」として差別された側だったわけだ。「優秀な生徒を伸ばす教育でいいのか?いろんなきっかけで『不良』と呼ばれる生徒になってしまった10代を、見捨てていいのか?」

 この「腐ったミカン」発言の根底にあるのは、「できる生徒とできない生徒の二極化」だろう。この当時学校に蔓延っていた、「できる生徒の方を伸ばすのが教育の意義であり、できない生徒ができる生徒の足を引っ張るようなことがあってはいけない」という価値観を象徴するような考え方だと言える。

 そしてそんな思想に対して真っ向から反対する存在として、金八先生は描かれている。先ほど加藤に語った「生徒には、授業を受ける権利がある」という考え方は、「腐ったミカンは放り出してもいい」という考え方に対するアンチテーゼになっている。