なお、データは基本的に客観的であるべきはずのものだが、データを歪めて主観的に用いようとする人や、そもそも主観を強化するために作られた作為的なデータもあったりするのでデータに接する際には念のため注意が必要である。

不利なデータで「すね毛狩り」勃発?
一触即発の状況である

 あれこれこねくり回して書いているが何が言いたいかというと、中年すね毛勢は結構ピンチなのではないか。もしすね毛に不利なデータが出たら、ハーフパンツのすね毛は一気に取り締まられるであろう。

「抜けたすね毛がオフィスに落ちることで散らかった感じになり、従業員の集中が阻害されることで業務効率が13%低下する。従業員同士のいさかいも6%増える」などの研究が発表されたらいよいよ危うい。

「もはやすね毛を生やしていることは本人の尊厳や趣味趣向を除けばメリット皆無」となって「すね毛狩り」が始まるであろう。すね毛を刈っていない者を刈り取る狩りである。

 そもそも男性のすね毛、および体毛の市民権は時間をかけて少しずつ削られてきている時代の流れがある。大局を観ずるに、すね毛は旗色が悪いのである。

 私事だが、昔からすね毛が大変なコンプレックスであった。成長期が人よりやや早く、また体毛の中でもすねだけ濃かったため、中学生時にはすね毛を人目に晒すのが本当に憂鬱で、体育時に長ズボンのジャージを穿いていい時は真夏でも必ず穿いた。

 すね毛と自我が深く絡まり合った思春期を終え、やがておのれのすね毛を徐々に受容できるようになっていくのだが、それでも「すね毛を気にしすぎない」のと「すね毛を人目に晒す」のとは別の問題であり、今でも外出時にハーフパンツの類は穿けない。

 ではすね毛を剃ればいいのではないかというと、そんな単純な問題ではない。剃ると次に生えてくるすね毛がもっと濃く見えると言われていて、実際に剃った友人の事後経過を見てやはりそれが事実であると確認し、俄然剃りたくなくなってしまった。

 今ではレーザー脱毛や除毛クリームなんかがもっと身近になってきているが、当時の一般的なアンテナの男性にとって毛を減らす方法としてよく知られている選択肢は「剃る」であった。