会社は従業員の身だしなみに
どこまで口出しできる?

 従業員の身だしなみに会社はある程度口出しできるが、法律の傾向としてそれが認められるのは「ある程度」までらしく、過去の判例に、郵便事業職員のひげと長髪が問題視されたとき「顧客に不快感を与えるレベルまで行ったらNG」と判断されたこと(2010年)や、ヒゲを生やしていたことを理由に市営地下鉄運転士の人事考課を低くした判断を違法としたこと(2019年)などがあった。

 上記の記事では、すね毛を剃ることがヒゲを剃るほど社会のマナーとして一般化していないので、すね毛の脱毛・剃毛を従業員に命じるのは過度な制約で違法に当たる可能性が高い、という内容で結ばれている。

 なるほど納得の説明だが、これは中年すね毛勢にとっては由々しき事態である。現状、すね毛は「ある程度の自由」」という柵の中で保護されているが、過去の判例をひも解いてみても、裏を返せば「過度」でなければ会社は従業員の身だしなみに関与できるということであり、場合によっては「ある程度の自由」がおびやかされるおそれがある。

 そして「ある程度の自由」や「過度」が持ち出される時、その度合いを決定する物差しは何が根拠になっているかというと「一般的な社会のマナー」である。

 こうした社会通念は大多数で共有できているから、安定して信頼に足る拠り所然としていて、時に超大多数による手のひら返しが行われることがあるので、ちょっとバブルっぽい山っけを拭いきれず、完全に身を委ねる安全な城にはしがたい。

 たとえば灰皿が偏在していた昭和から嫌煙の広がりを見せた昭和後期および平成や、いくつもの価値観を決定的に変えたコロナ禍なんかが、大多数の手のひら返しの例である。

 喫煙→嫌煙の過程で優先されたのは健康で、在宅勤務の普及や人との空間的距離の見直しが図られたコロナ禍では感染防止(広義の健康)が重視された。このとき「喫煙はこれだけ健康を損なう」といった、優先されるべきものを補強するデータが示されるとそれは一気に社会正義のていを帯びてもう一方を駆逐しにかかる。