もし「中年すね毛勢」が処理するなら
タイミングと目的が重要
願わくば「不快」といった言葉が拡大されて振り回されることなく、「すね毛ハラスメント」という新ハラスメントが大々的に登場することもなく、わびさびあるこのすね毛にも広く理解が施されれば嬉しいが、受けとめる側の各人にも事情があってどうしても許せない場合もあるだろうから、理解を期待しすぎて実質理解の押し付けになるのも避けたいところである。
理想はお互いが譲歩して共存の道を探ることだが、この先果たしてどうなるか。すね毛のあやうげな未来を、きっと令和は目撃する。
ただ同年代の男性ですね毛を含むムダ毛を処理している人もいる。家族やパートナーに応じる形であったり、あとこれはサンプルが少なくごく個人的な見立てなので普遍的な事実とはいえないが、女性とたくさん遊びたい男性もムダ毛の処理に余念がない印象である。
上記に当てはまらず、純粋に身だしなみに気をつけて誰にも言われず自発的に処理している人は今のところまだ少なく感じる。のだが、世相が変わってきてはいるので私もすね毛の処理についてかつてほど後ろ向きではない。
ただ、もし今処理するとなると、「妻子持ち中年が何急に色気づいているんだ」と見られてしまう気がしてそれが恥ずかしい。いよいよ処理した方がよさそうならきっとどこかのタイミングで、社会に与する形で処理を行うのであろう。
このムダ毛処理の流れはこのまま続くのか、それとも終わるのか。今しばらくは我が誇り高きすね毛とともに時代と真っ向からにらみ合いである。