また、ジャンプの裏表紙の裏、印刷用語でいうところの表3部分に定期的に載せられるような「少年・青年向け脱毛のススメ」的広告にも気に入らなかった。
体毛がいかに不潔であるか、体毛をなくすことでいかにモテるかといった趣旨のことが語られているのだが(当時としては先進的だったといえよう)、人のコンプレックスをわざわざ広げて、あるいは人にコンプレックスを新たに植え付けてそこに商売をかけようとする業者の姿勢が嫌で、それに屈するのもはばかられたのである。
上半身裸で街を闊歩する男性と
何が違うのか
こうなるとすね毛はもう体毛の域を超えて、私自身の尊厳そのものとなってくる。たかがすね毛だがされどすね毛であり、同様の葛藤を抱えている同志は多いのではあるまいか。剃れと迫られてもそう簡単に剃れるものではないのである。
はじめに紹介した弁護士談だと、ハラスメントを定義づけるのは社会通念である。社会通念は強固で盤石なように見えて、ときにとても可変的であることは先に書いた。
たまに怖いものがなさそうな高齢男性が上半身裸で往来をうろつい
しかしすね毛ハーフパンツも「ラインの向こう側に分類していいのでは?」と考える人も出てきて、そうした声が今回弁護士ドットコムに投稿されるといった形で可視化されてきている。
しかしすね毛に関して、こちらは生やしている側の当事者であり、それを見て不快に感じるかもしれない相手への配慮に協力したい気持ちもある。そもそも男性は異性を意識するとき、次のような希望を段階的に持っている。これは相手ごとに変わったり、加齢とともに段階が引き下げられたりする。
1:モテたい・好かれたい
2: 恋愛対象内にいたい
3:ギリギリでもいいから恋愛対象内にいたい
4:「せめて普通」くらいには思われたい・嫌われたくない
5:存在を許されたい・最低限のところはクリアしたい
このチャートだと、下の4か5を達成するためにすね毛の処理が視野に入ってくるということである。このときすね毛の処理は相手のためでもあり自分のためでもある。