1人のポケットマネーで
誕生した伝説の球団
高橋は明治8年、愛媛県に生まれ、第三高等学校(現在の京都大学)工学部を卒業後、ドイツで醸造技術を学び、帰国後は大日本麦酒で日本のビール普及に尽力し社長に就任。「日本のビール王」と呼ばれた。
当時すでに70代半ば。永田は親子ほども年の離れた高橋に「球団設立」の話を持ちかけた。
高橋龍太郎は「頼まれると断れない性格」だったようで、戦前には経営者が手を引いたプロ野球チーム、イーグルスのオーナーになっている。
高橋は将棋好きで、大阪のビール会社に勤務していた時期に村田英雄「王将」のモデルとして知られる棋士の阪田三吉と知り合い、高橋が借りた家に阪田を住まわせ、毎月手当を与えていた。有名な関根名人との対局の際も、阪田は高橋の借りた家から東京へ向かったという。
また、戦後は日本サッカー協会の会長にも就任していた。
高橋は当時、参議院議員。日本商工会議所会頭、通産大臣を歴任した政財界の大物だった。しかし、すでに大日本麦酒を退き、経済界からも引退していた高橋は、ビール会社に声をかけることはできなかった。
そこで高橋は腹を括り「自分のポケットマネーで球団を経営しよう」と決意新球団創設を承認した。球団名は「高橋ユニオンズ」。ユニオンは戦前、高橋が手掛けたビールの銘柄「ユニオン麦酒」に由来する。
日本のプロ野球史上で「個人がオーナー」の球団は、この「高橋ユニオンズ」しかない。本拠地は神奈川県の川崎球場となった。
