禅が重んじているのは、「運」ではなく「縁」です。
私は縁をチャンスに喩えてお話しするのですが、縁、チャンスは自分でつかむべきものです。
少し難度の高い仕事のオファーがあったとき、それに果敢に挑戦する人もいれば、尻込みしてしまう人もいます。両者の違いはなんでしょうか?
心だけでなく「準備」も整える
流れに任せて、チャンスをつかむ
それは「準備」の差です。
これまで着実に努力を重ね、実力を蓄えてきた人は、新たな挑戦の場面で「自分ならできる」と前向きな気持ちになります。一方、中途半端にしか仕事をしてこなかった人は、「とても無理だ」とハナから気力を失い、チャンスを逃してしまうのです。前者はチャンスをつかみ、後者はそれを逃します。

禅の教えでは、「因」を整えておけば、縁をつかみ、「因縁」を結ぶことができるとされます。逆に、準備が不十分なままでは、せっかくの縁が巡ってきても、それを活かせません。つまり、因縁は結べない。
これは、人生のさまざまな場面にあてはまる真理です。チャンスをつかめば、また新たなチャンスにつながります。挑戦すれば、新たな出会いや可能性が生まれ、人生のステージが開かれていくのです。逆に、1度逃したチャンスは2度と戻りません。次にいつ巡ってくるかもわかりません。
日々の努力や学びが、いざというときに自信に変わり、周囲の期待にも応えられるようになります。準備不足であっては、せっかくのチャンスを逃し、後悔するでしょう。
チャンスはどこにでもありますが、それをつかむためには、まず自分の力をしっかりとつけておかなければなりません。運命の分かれ道に立ったとき、準備が整っていれば、迷わず前に進めます。チャンスの一瞬をつかめるかどうかは、普段の積み重ねにかかっているのです。
自分では変えられないことに心をすり減らしても、意味はないのです。運に対しては、流れに任せる。縁に対しては、準備を整えてつかみにいく。この心構えがあれば、人生はもっと豊かになり、前向きに進んでいけます。