だがまもなく不満が芽を出す。報酬のこと、同僚のこと、上司が自分の能力を認めてくれないことなど、いろいろと文句が出てくるかもしれない。
快楽適応は人間関係についても言える。理想の相手に出会い、ひたすら求愛したあげく、結婚にこぎつく。結婚生活は至福のうちにはじまるが、やがて相手の欠点が目につきはじめ、まもなく、別のだれかと関係することを想像しはじめる。
現在の悩みにも通じる
ストア哲学の教え
ストア派(編集部注/紀元前3世紀にゼノンが始めた古代ギリシャの哲学学派。快楽を追うキュレネ派や禁欲的な犬儒派に対して、理性と徳に基づく「中庸の生き方」を説いた。ストア派の哲学者が知ろうとしているのは「どうすれば心が安定した好ましい道をたどれるか、どうすれば心がみずからに好意を持ち、その状態を喜びをもって見ることができるか」ということ)の人びとはこの問いへの答えを用意している――いま自分が大事にしているものを失ったときのことを想像するのである。
妻を失った、車が盗まれた、仕事を失ったときのことを想像すれば、私たちは妻を、車を、そして仕事をもっと大事に思うことだろう。少なくともはるかクリュシッポス(編集部注/古代ギリシアの哲学者。ストア主義をギリシア・ローマ世界の有力な哲学の1つにしたことで、ストア主義第2の創設者と言われる)の時代からストア派の人びとはこのテクニックを使っていた。
ストア派の哲学的ツールのなかで、これが一番価値があるテクニックだと私は思う。とりあえずこれを「ネガティブ・ビジュアリゼーション〔悪い事態を思い描くという意〕」と呼ぶことにする。
セネカは『マルキアに寄せる慰めの手紙』のなかでこのネガティブ・ビジュアリゼーションのテクニックを述べている。
この女性は、息子が亡くなって3年たったあとも、埋葬したときと同じ悲しみに打ちひしがれていた。