果たしてどんな違いが出てくるか。ほぼ確実に、最初の父親は2番目の父親よりも深い愛情と心づかいを子どもに注ぐことになるだろう。その父親が朝一番に娘を見たとき、彼女がいまだに自分の人生の一部であることを喜び、日中は子どもと交わるチャンスを心ゆくまで楽しむだろう。

書影『ストイシズム:何事にも動じない「無敵の心」のつくり方』(ウィリアム・B・アーヴァイン著、竹内和世訳、白揚社)『ストイシズム:何事にも動じない「無敵の心」のつくり方』(ウィリアム・B・アーヴァイン著、竹内和世訳、白揚社)

 逆に2番目の父親は、朝子どもを見ても湧きあがる喜びを経験することはまずないだろう。

 新聞から目をあげて部屋にいる娘に気づくことさえないかもしれない。明日があると決めこんで、日中も娘と交わる機会を見つけようともしないだろう。ようやく子どもと交わる時間を見つけたときも、その父親が感じる喜びは、最初の父親ほど深くはないだろう。

 ストア哲学によれば、家族の死を予想するだけでなく、友だちが死んだり、あるいは仲違いして疎遠になる可能性をも想像する必要がある。

 エピクテトスは言う。友人に別れを告げるとき、これが最後の別れとなるかもしれないと心のなかで思うべきである、と。こうすれば友人を当たり前に思うこともなくなり、はるかに大きな喜びを友情に見いだすことになるだろう。