シンガポール国立大学(NUS)リー・クアンユー公共政策大学院の「アジア地政学プログラム」は、日本や東南アジアで活躍するビジネスリーダーや官僚などが多数参加する超人気講座。同講座を主宰する田村耕太郎氏の最新刊、『君はなぜ学ばないのか?』(ダイヤモンド社)は、その人気講座のエッセンスと精神を凝縮した一冊。私たちは今、世界が大きく変わろうとする歴史的な大転換点に直面しています。激変の時代を生き抜くために不可欠な「学び」とは何か? 本連載では、この激変の時代を楽しく幸せにたくましく生き抜くためのマインドセットと、具体的な学びの内容について、同書から抜粋・編集してお届けします。

好奇心はサバイバルのためのツール
好奇心こそ、我々の生きるエンジンである。
それは、人類が受け継いできたサバイバルのために最も大事なツールである。
人類は、好奇心のおかげでテクノロジーを進化させ続け、ついには超知能を持つAIまで作り出そうとしている。
そしてAIが浸透することで、主に総力戦の実施のために国民国家の公教育が大量に生み出してきた指示待ち人間の価値が崩壊する。
指示待ち人間では、我々人類は、もはやAIには勝てないからだ。
AIの普及は止めようがない
しかし、歴史を見ると、権力者の既得権益保護のために、新しい技術の浸透を止めようとした例は枚挙にいとまがない。
例えば、中国では西欧より750年ほど早く7~8世紀頃に木版印刷が誕生していた。しかし、それは西欧のグーテンベルクの印刷革命のような大規模な情報革命にはつながらなかった。識字率の向上や知識の民主化が、唐王朝の支配体制を揺るがすことを恐れたからだと言われている。
火薬も、中国では欧州より400~500年早く、9世紀頃に発明された。しかし、当時の中国では歴代王朝がこの技術の戦略的価値を十分に認識せず、あるいは、その普及が農民反乱などに利用されることを恐れて制限した。そのためアヘン戦争のような近代戦で西欧列強に圧倒された。
さらに中国は、羅針盤も西欧より200年早く、11世紀初頭に発明していた。大航海時代を可能にした技術だが、中国の王朝は外国との貿易による国内秩序崩壊を恐れ、広範な海洋進出には踏み切らなかった。
鄭和の大航海(明の永楽帝の命を受けて鄭和が行った外交・貿易遠征)も一時的(1405~1433年)なもので終わった。これが後のアヘン戦争での敗北と、それに続く西洋列強による半植民地化につながる要因の一つである。
オスマン帝国では、18世紀に入るまで印刷術が本格的に普及せず、知識の伝播が遅れた。そのため、科学技術や思想の発展においてヨーロッパに大きく後れを取ってしまった。情報流通の速度と量が限定されたことで、社会の変化への対応が遅れ、帝国の衰退を早めたのだ。
ロシア帝国は、19世紀半ばにイギリスやフランスで鉄道網が急速に発展する中、鉄道の導入に及び腰だった。鉄道は労働力の流動性を高め、農奴制の維持を困難にする可能性があったからだ。
また、馬車や水運といった既存の輸送手段に携わる貴族や商人の既得権益も、鉄道の導入を妨げた。その結果、1853年のクリミア戦争で、ロシア軍は補給線の問題に直面し、遠隔地への兵員や物資の輸送に多大な時間を要した。一方、英仏連合軍は蒸気船や限られた鉄道を活用して迅速に展開。この戦争でロシアは敗北した。
大英帝国では、エリザベス1世が編み機(靴下やその他の編み物を手作業で行う代わりに、機械で効率的に生産するための画期的な装置)の導入を拒否した。エリザベス1世は、その先見性から、新しい技術がもたらす社会的な混乱や失業の可能性を危惧し、その導入に慎重な姿勢を取った。彼女の時代においては、社会秩序の維持が最優先課題だったからだ。
しかし、AIの浸透は為政者の目に見えない形で様々な分野で進んでいくので、この動きは止めようがないだろう。
子供にならって好奇心を発動しよう
好奇心とは何か?
それは、一言で言えば快感である。
・主体的に問いを立て、それを探る旅にいざなってくれるエネルギー
・それを発動することで、いつも脳内に幸福感や充実感を与えてくれる
・ゾーン(極度の集中状態)に入り、疲れやストレスから解放してくれる
・継続的な学びのインセンティブになってくれる
好奇心発動の師匠、その手本は、あなたの近くにいる「子供たち」である。
それは、かつての我々自身である。
夢中になって好きなことをやっていた感覚を取り戻そう。
ミドル以降の人も、好きなことで、自分をゾーンに入れていこう。
「老いては子に従え」とは、よく言ったものだ。
(本稿は『君はなぜ学ばないのか?』の一部を抜粋・編集したものです)
シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院 兼任教授、カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル・リーダーシップ・インスティテュート フェロー、一橋ビジネススクール 客員教授(2022~2026年)。元参議院議員。早稲田大学卒業後、慶應義塾大学大学院(MBA)、デューク大学法律大学院、イェール大学大学院修了。オックスフォード大学AMPおよび東京大学EMP修了。山一證券にてM&A仲介業務に従事。米国留学を経て大阪日日新聞社社長。2002年に初当選し、2010年まで参議院議員。第一次安倍内閣で内閣府大臣政務官(経済・財政、金融、再チャレンジ、地方分権)を務めた。
2010年イェール大学フェロー、2011年ハーバード大学リサーチアソシエイト、世界で最も多くのノーベル賞受賞者(29名)を輩出したシンクタンク「ランド研究所」で当時唯一の日本人研究員となる。2012年、日本人政治家で初めてハーバードビジネススクールのケース(事例)の主人公となる。ミルケン・インスティテュート 前アジアフェロー。
2014年より、シンガポール国立大学リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授としてビジネスパーソン向け「アジア地政学プログラム」を運営し、25期にわたり600名を超えるビジネスリーダーたちが修了。2022年よりカリフォルニア大学サンディエゴ校においても「アメリカ地政学プログラム」を主宰。
CNBCコメンテーター、世界最大のインド系インターナショナルスクールGIISのアドバイザリー・ボードメンバー。米国、シンガポール、イスラエル、アフリカのベンチャーキャピタルのリミテッド・パートナーを務める。OpenAI、Scale AI、SpaceX、Neuralink等、70社以上の世界のテクノロジースタートアップに投資する個人投資家でもある。シリーズ累計91万部突破のベストセラー『頭に来てもアホとは戦うな!』など著書多数。