2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

「そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい」と思うと、超能力が引き出されるらしい
「一度も泳いだことがない」という人が水泳教室に行ったそうです。
体を水面に横たえて「浮く」練習をしたのですが、「沈みたくない」「浮いていたい」と思って力を入れたとたん、ブクブクと沈んでしまった、といいます。
その様子を見ていた先生は、「浮かべないようですね。では、今度は鼻をつまんで沈んでみましょう」とアドバイスをしました。
先生の言う通りに「沈んでみよう」としたところ、今度は沈むことができない。「体を沈めてもかまわない」と思った瞬間、余計な力が抜けて、体が自然に「浮いてしまった」ようです。
この事実は、大変、おもしろいことを意味していると思います。
人間の潜在能力や超能力は、「こうでなければ嫌だ」「こうならなければダメだ」と思った瞬間に、出てこなくなるようです。
反対に「そうならなくてもいい。でもなるといいな。でも、ならなくてもかまわない」と考えると、潜在能力が花開くらしい。
念ずる方法というのは、「0ライン=そうならなくてもいい」が前提です。
「そうならないのが当たり前」という基本を押さえたうえで、さらに「そうなったら嬉しく、幸せだ。けれど、そうならなくてもいいけれど……」と考えると、潜在能力や超能力を引き出すことができるみたいなのです。
比叡山には「千日回峰行」という修行があります。これは、7年(1000日)かけて山々を巡る「非常に過酷」と言われる修行です。この「千日回峰行」を達成した方を「阿闍梨」と呼ぶそうです。
ある阿闍梨さんの話を聞いたことがあります。この阿闍梨さんは、700日くらいまでは(1年に100~200日ほど歩く)順調に歩いていたそうです。
ところが、信者さんからいただいた食べものにあたって、立つことも歩くこともできないほど、体調を崩してしまったそうです。
「千日回峰行」は、途中で修行を断念した場合、「死」を選ばなくてはならない決まりになっているため、のどを突くための短剣と、首を吊るためのひもを持ち歩いているそうです。
「これ以上は、もう続けられない」と断念した阿闍梨さんは、のどを突くか、それとも首を吊るか悩み、けれど、そのどちらの方法も苦しそうだったので、「このままばったり前に倒れて、死んでしまうのがいちばんいい方法だ」と考えました。
阿闍梨さんは、鉛のように重たくなった体を起こし、死ぬつもりで前に踏み出しました。
「これで死んでもいい。死んで、すべてのことを解決しよう」と思った瞬間、体が嘘のように軽くなり、動けるようになったのだそうです。
後日、阿闍梨さんは、そのときのことを次のように回想しています。
「じつのところ、700日くらいまでは順調だったので、『本当は、神も仏も存在しないのではないか。そんなものがなくても、自分はここまでできた』と思っていました。ところが体が動かなくなり、人間の意志や力ではどうしようもない状態になり、命を捨てる覚悟で一歩踏み出した瞬間に、体が動くようになりました。あのとき、私は『この世には、本当に神や仏が存在するのだ』と心から確信したのです」と。
この阿闍梨さんは「身を捨てた」からこそ、「体が動いた」のではないでしょうか。
「こうでなければならない」という執着を捨て、心穏やかで、満ち足りて、感謝しているときに、人間の脳は、アルファ波や、シータ波(脳波)を出す状態になり、その状態になることで、潜在能力や超能力を呼び覚ますことができるらしいのです。
「そうならなくてもいいけど、そうなったら嬉しい。でも、そうならなくてもいいけど……」という考え方が、どうも潜在能力や超能力を引き出すポイントらしいのです。