SFの巨匠・星新一の父が人生を捧げた「モルヒネ国産化」…現代にも通じる成功の真髄とは?
文芸作品を読むのが苦手でも大丈夫……眠れなくなるほど面白い文豪42人の生き様。芥川龍之介、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫、与謝野晶子……誰もが知る文豪だけど、その作品を教科書以外で読んだことがある人は、少ないかもしれない。「あ、夏目漱石ね」なんて、名前は知っていても、実は作品を読んだことがないし、ざっくりとしたあらすじさえ語れない。そんな人に向けて、文芸評論に人生を捧げてきた「文豪」のスペシャリストが贈る、文芸作品が一気に身近になる書『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)。【性】【病気】【お金】【酒】【戦争】【死】をテーマに、文豪たちの知られざる“驚きの素顔”がわかる。ヘンで、エロくて、ダメだから、奥深い“やたら刺激的な生き様”を大公開!
※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
イラスト:塩井浩平
「ショートショートの神様」は
財閥の御曹司
SFの巨匠、父親は「東洋一の製薬王」と呼ばれた実業家
日本の医療を変えた挑戦
かつて「東洋一の製薬会社」と評された会社がありました。作家・星新一の父親・星一が、明治39(1906)年に設立した星製薬所(現・星製薬)です。
明治時代の日本では、外科手術で医療用の麻薬性鎮痛剤「モルヒネ」が使われていました。当時、モルヒネは輸入品を使っていましたが、それを日本で初めて国産化したのが星製薬所だったのです。
製薬に留まらない先見の明
創作の源泉、父という存在
星一は明治から大正にかけて多大な功績を残した実業家で、「星薬科大学」の創設者でもあります。政治家・著名人との交流があったことでも知られており、旧1000円札の顔である医学者・野口英世とも付き合いがあったそうです。
新一は、そんな父親のことを伝記『明治・父・アメリカ』(新潮文庫)にまとめています。それだけ父親の存在が、作家・星新一にとって、大きな意味を持っていたということが推測できます。
福島の村から、世界へ
運命を変えた一冊の本
福島県の村会議員の家に生まれた星一は、苦学して上京し、夜間の商業学校で勉強します。
明治20年代当時は、西洋の文化が活発に入ってきていたころでもあり、「天は自ら助くる者を助く」で知られるイギリスの作家サミュエル・スマイルズの書いた『自助論』に影響された一は、低い身分の生まれでも自分の運命は自らの行動で切り拓けると、渡米を決意しました。
20歳、希望と挑戦の大地アメリカへ
誠実さが人種の壁を溶かした
20歳という若さで米サンフランシスコにわたり、アメリカ人の中流家庭に住み込みで働きながら学費を蓄え、昼間は学校に通って必死に勉強します。
当時は黄色人種に対する差別もありましたが、熱心に働いたこともあり、住み込みで働いていた家族に「立派な青年だ」と認められ、なんと学費まで出してもらいました。
努力の結晶、名門コロンビア大学への道
学生起業家、ウォール街に立つ
そして、22歳でニューヨークのコロンビア大学に入るのですから、かなりの努力家です。
このように高い志を持ち、なおかつ勤勉だった一は、コロンビア大学在学中に、ニューヨーク・ウォール街のほど近くで新聞社を興し、近郊の日本人向けに日米情報紙『ジャパン・アンド・アメリカ』を創刊します。27歳のときのことです。
天才・野口英世との邂逅
「東洋の製薬王」伝説の幕開け
その過程で、アメリカに留学中だった野口英世とも交流が生まれました。明治38(1905)年、一は新聞事業を譲渡し、所持金400円とともに日本に帰国。その翌年に「星製薬所」を創設し、前述のとおりモルヒネの国産化で莫大な利益を得ました。
大正10(1921)年には、製薬会社として東洋一と言われる規模となり、一は「東洋の製薬王」と言われるほどの存在にのし上がったのです。
作家・星新一は、そんな偉大な父のもとに生まれ、その背中を見ながら育ちました。

