「私のものに被害を加えられると、自分に被害を加えられるように感じた。あの時は殺すしか考えられなかった」(朝日新聞 2021年5月14日)
この「やられたらやり返す、倍返しだ」的な暴力の連鎖が、外国人観光客の「鹿キック」の原因である可能性が高い。実は奈良公園の鹿というのは、100年以上前から外国人観光客にとって「神秘の動物」だった。大正3年に発行された小説家・田山花袋の「日本一周」(博文館)の中には、田山の知人のこんな言葉が紹介されている。
「外国人などには、ああして鹿が遊んでいるといふことが非常にめづらしいものと見えますね。私があちらにいる時分世話になつた人をつれて行くと、あれが非常に気に入って、それは大喜びでしたよ。そして、どうしてあああ馴れて遊んでいるのだろうって、不思議にしていましたよ」(日本一周 前編 536ページ)
ただ、それは勝手に「幻想」を抱いているだけに過ぎない。実は鹿は人間に馴れているわけではなく、ここが自分の餌場、縄張りだと認識してリラックスしているだけだ。にも関わらず、「人に馴れている」と思い込んでいる外国人観光客は、ドッグカフェのノリで鹿に近づき、エサをあげ、撫でる。しかし、現実の鹿は人に馴れているわけではないので、体当たりなどの攻撃をしてくる。
ペットのようにすり寄ってくるのかと思っていたかわいい動物にいきなり襲われたら恐怖をする。そして、次に「なんだ、この野郎」と怒りが込み上げる。その中には「報復」として鹿の頭を叩いたり、蹴り上げたりする不届者も一定数あらわれるというワケだ。
日本人の過ちを知らず
外国人を批判する危うさ
なぜ筆者がそのように断言できるのかというと、歴史を振り返れば、このような「やられたらやり返す」という暴力の連鎖で、鹿が虐待されたり、殺されたりという悲劇が昔から延々と繰り返されているからだ。
江戸時代、春日大社近くの豆腐屋で、店頭にあった豆腐を鹿がムシャムシャと食べてしまった。怒った店主は追い払おうと、鹿に向かって包丁を投げたところブスリと命中してしまい、鹿は絶命した。当時のルールでは、春日大社の神鹿を殺した者は首を切られることが決まっていた。







