「えっ? 確かに悪いことだけれど罰が重過ぎない?」と驚く人も多いだろうが、実はこれでもかなり刑は軽くなった方だ。中世では「石子詰」(いしこづめ)という中世ヨーロッパの魔女狩りのような残酷な処刑をされた、と明治の辞典に説明がある。

【石子詰】土中に穴を掘りて、罪人を生きながらに入れ、大小の石にて埋め殺すこと。中古、大和国 奈良の鹿を殺したる者も、この刑に処せられたり(ことばの泉:日本大辞典21版 明治37年)

 このような厳しい刑罰があったということは、大昔から、鹿にひどいことをされてカチンときて、思わず手が出たり足が出たりしてしまう不届者が定期的にあらわれてきたということである。

 こういう「鹿虐待の前科」が山ほどあるにもかかわらず、そんな恥ずかしいことを我々日本人は1人もしていませんと言わんばかりに、外国人の行為だけにフォーカスを当てるのはかなり違和感がある。

 日本人が主にやってきた「悪事」なのに、最近やってきた外国人観光客にすべて押し付けて、急に「被害者ヅラ」をするのは、あまり褒められた話ではない。

 しかも、もっと言えば、日本人が世界に誇る「武士道」でも、正義を守る勇気を持つ者こそが、真の武士とされているではないか。

江戸の名判官の慧眼
現代政治の愚かさ

 先ほど紹介した、鹿を包丁で殺してしまった豆腐屋だが、実は無罪放免になっている。

「名判官物語 : 徳川時代の法制と大事件の裁判」(小山松吉 中央公論社)によれば、京都所司代を務めていた板倉重矩という大名が、そもそも、鹿が豆腐屋の食べ物を勝手に漁ったことが悪いとして、十分に餌を与えていない春日大社側にも「管理責任」があると指摘。鹿を殺したら斬首というのは古いしきたりだとして、「今日以後人間を以て獣に代ふることが許し難し」という裁きを下したのである。

 我々の立派な先人は、古い因習で思考停止に陥ることなく、正義の目で鹿トラブルを分析して、根本的な原因を「管理が十分ではない」と看破していたのである。

 そんな武士道を体現した板倉重矩の没後400年、時は流れて令和の人気政治家は「鹿を蹴った外国人を許してはいけない!」と気を吐いて、一部の国民から「これぞ日本人!」と拍手喝采を浴びている。

 果たして、これは「武士道」なのか。ひょっとして、我々は江戸時代の人々がもっていた大事な何かを失くしてしまっているのかもしれない。

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