記事によれば、徐行箇所の推定が困難だったため建設局は膨大な箇所を提示した。これではダイヤが組めないと焦った運転局だったが、開業ダイヤを掲載する時刻表の締め切りが8月末に迫っており、所要時間を決めなければならない。
徐行区間を考慮しても「ひかり」は3時間半、「こだま」は4時間半程度で走れる見込みだったが、安全を見越して4時間、5時間に決定した。だが、結果的にこれは正解だったと言えるだろう。
初期故障と自然災害に
苦しんだ東海道新幹線の船出
順風満帆の船出と思われがちな東海道新幹線だが、開業からしばらくは初期故障に悩まされた。何しろ世界初となる時速210キロの高速運転。全長約30キロの「モデル線」で1962年から2年間の試験を積み重ねていたが、実際に営業すると設備面や保線で新たな問題が見つかった。
当初想定していた徐行区間以外にも、車両の動揺が大きい区間、および、路盤の沈下によるレールのずれ、レール損傷など、緊急に手当てが必要な箇所でも緊急徐行を行い、その件数は多い日は10~20件にも及んだ。
その後、軌道整備作業の知見を積み重ねたことで、3時間運転の実施までに軌道の変異は劇的に減少した。この間、ダイヤを維持できたのは、余裕をもった4時間運転のおかげだったと言えるだろう。
もうひとつの問題は自然災害だった。3時間運転は当初、開業半年後の実施を目指していたが、慎重を期して雨期を経験してからスピードアップすることとし、1965年10月に変更。しかし、より慎重を期すため、9月、10月の台風シーズンを避けて同年11月に変更された経緯がある。
不安は的中した。同年は稀に見る雨の多い年で、5月26日から27日にかけて襲来した台風6号は沿線全域にわたって100ミリ以上の降雨があり、沿線各所で築堤の法面(斜面)が崩壊する被害があり、12時間以上にわたり運転を見合わせた。これは安全を確保するための雨量運転規制によるものだが、世間に「雨に弱い新幹線」との印象を植え付けることとなった。