故障、沈下、豪雨…「世界の鉄道史」を変えた東海道新幹線、その開業1年間の“壮絶すぎる舞台裏”Photo:PIXTA

1964年10月1日に開業した東海道新幹線は日本のみならず世界の鉄道史を変えたと言われている。しかし、本領を発揮したのは翌1965年のことだ。10月1日のダイヤ改正で超特急「ひかり」と特急「こだま」を毎時1本ずつから2本ずつに増発するとともに、「みどりの窓口」を開設。世界初の鉄道座席予約システム「MARS(マルス)」が東海道新幹線に対応した。そして、11月1日、東京~新大阪の「ひかり」所要時間が4時間から3時間10分に短縮され、東海道新幹線は本来の姿となった。その礎を築いたのは、開業から1年間にわたる苦難と試行錯誤の日々だった。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

徐行区間の設定をめぐって
運転局と建設局が「大げんか」

 東海道新幹線が開業から1年1カ月にわたり減速運転を行ったのは、路盤が固まりきっていない区間があったからだ。総延長515キロのうち114キロが盛土区間だが、大井川や天竜川、長良川などの大河川付近や海沿いは軟弱地盤のため、地盤改良が必要だった。

 しかし、正味5年の突貫工事であり、用地買収が遅れた一部区間はさらに工程がタイトだった。そのため路盤が安定せず、1年間に最大2メートルもの沈下を記録する区間もあった。そこで、路盤沈下が著しい10カ所程度の区間は時速70キロまたは時速160キロの徐行運転を行い、並行して路盤沈下対策を進めることとした。

 そこで1時間の余裕を見て4時間運転としたが、決定の背景には意外なエピソードがあったようだ。1965年11月の業界誌『交通技術』には、運転局と建設局の担当者が徐行区間の設定をめぐって「大げんか」したと振り返っている。