その後も6月から7月にかけて梅雨の集中豪雨、8月から9月の台風で同様の被害が発生し、法面崩壊のみならず線路陥没も発生。6月27日の豪雨の3日後には、線路が最大80ミリ沈下し、時速150キロで走行していた列車が非常ブレーキで停車する事態も発生した。

 そこで降雨対策として法面の防護工事を進めるとともに、水抜きパイプの打ち込みやコンクリートブロックによる強化を長期対策として実施。あわせて崩壊の恐れが大きい箇所には検知装置を設置し、変異時は自動的に列車を停止させる対策を進めた。

 冬季は雪に悩まされた。関ケ原付近は豪雪地帯として知られており、岐阜羽島~米原間約50キロにはラッセル車、ロータリー車の配備、ポイント融雪機の設置、そして、降雪時の徐行運転など雪対策を行っていたが、雪害は想定以上だった。

 高速運転で巻き上げた湿った雪は車両床下に付着し、塊となって線路に落下。バラスト(砂利)を跳ね上げて床下機器や窓ガラス、地上設備を損傷する。1964年度に発生した輸送障害214件のうち50件が雪害によるもので、床下機器の防護、消雪スプリンクラーの設置などの対策が進められたが、雪は今も東海道新幹線の天敵である。

MARSの導入により
予約・発券も「高速化」

 さらに、地震にも遭遇した。4月20日に静岡県焼津市の大井川河口付近で発生したマグニチュード6.1の「静岡地震」は、最大震度こそ4だったが、路盤沈下、橋梁の陥没、沈下が発生。事故には至らなかったものの長時間にわたり運行がストップした。

 東海道新幹線は開業直前の1964年6月16日に発生した新潟地震を受け、一定値以上の地震動を検知した場合に列車を自動停止する「対震列車防護装置」の導入を急いでいたが、静岡地震には間に合わなかった。

 幸か不幸か、多発した自然災害は新幹線を鍛えた。路盤の安定で徐行区間が3カ所に減少したことで、1965年11月1日から東京~新大阪間(下り)は、基準運転時分173分に余裕時分13分を加えた3時間10分運転を開始した。