
フェラーリジャパンが新型車「849テスタロッサ」を発表しました。テスタロッサというネーミングは実に33年ぶりとなります。名車テスタロッサの歴史を振り返るとともに、新型を写真付きで解説します。【前後編の前編】(モータージャーナリスト/安全運転インストラクター 諸星陽一)
フェラーリ「テスタロッサ」
赤色は偶然の産物だった!?
クルマ好きであれば33年前のテスタロッサはご存じのことだと思いますが、まずはテスタロッサというネーミングの由来と歴史について。テスタロッサ(Testarossa)は頭(Testa)が赤い(Rossa)という意味です。この由来は1956年に製造されたスポーツプロトタイプ「500TR」のエンジンヘッドカバーが赤く塗られていたから。最初から赤く塗ろうというコンセプトがあったわけではなく、赤い塗料が余っていたのでメカニックが勝手に塗ったというエピソードが残っています。
しかし、この一人のメカニックの行動がきっかけとなり、テスタロッサという名前が生まれ、それ以降フェラーリの高性能モデルの愛称となりました。たとえばフォルクス・ワーゲンのタイプIがビートルというニックネームで呼ばれ、やがてメーカー自身が正式名称として採用するといったことがあるように、こうしたエピソードを持つクルマは名車と呼ばれ、数多くの伝説を残すものです。
テスタロッサの系譜とモデルを紹介しましょう。テスタロッサの愛称が付けられた1956年の最初のモデル500TRは、2リットル4気筒エンジンを積むモデルで、スポーツプロトタイプと呼ばれるレーシングモデルで最高出力は180馬力でした。
翌1957年にフェラーリは500TRの発展型として同じく4気筒の500TRCを発表します。この500TRCはフェラーリとして最後の4気筒モデルで、最高出力は500TRと同じ180馬力と記録されています。
その翌1958年、フェラーリは250テスタロッサというモデルを登場させます。500TRや500TRCでは略語であるTRが車名でしたが、250はTRではなくTestarossaと表記されています。フェラーリ自身が初めてテスタロッサという名を冠したモデルといえるでしょう。250テスタロッサは240馬力の3リットルV型12気筒エンジンが搭載されていました。1962年には排気量を4リットルに拡大した330TRに取って代わられます。
330TRまでのシリーズのフォルムは流麗でクラシカルなロードカーにも見えるのですが、その後のスポーツプロトタイプである512Sや512Mは現代の目で見ても、純粋なレーシングカーに見えます。一方フェラーリは1940年代から12気筒のロードカーを製造しています。1970年以降の12気筒モデルを辿ると365GTB/4(デイトナ)→365GT4BB→512BBという変遷をとげます。
そして1984年に登場するのが私たちになじみ深いテスタロッサです。このテスタロッサはロードカーとして登場しますが、そのデザインは512Sの影響を受けたものとされています。搭載エンジンは4.9リットルのV型(クランク角180度のため水平対向とされることもありますが、素性としてはV型が正しい表現です)12気筒で最高出力は380馬力でした。
その後テスタロッサは1992年に512TRに進化。最高出力は428馬力に向上しました。さらに1994年にはF512Mとなり最高出力は440馬力となりました。
F512Mの生産は1996年に終了しました。その後も12気筒モデルは生産されますがテスタロッサやTRの名前は冠されませんでした。そして2025年、ついに新たなテスタロッサが登場。それが今回の849テスタロッサです。
次のページでは本稿で述べたテスタロッサの歴史を貴重な写真で振り返ります。そして後編『「欲しい、でも高すぎる…」フェラーリ新型「849テスタロッサ」が“おじさん心”を撃ち抜くワケ【写真多数】』では詳しく解説します。