例えば、ロープウェイについては観客を乗せたゴンドラが走りながら360度回転していく「ジャイロウェイ」、ゴンドラに動力を搭載することで曲がりくねったコースも設定できる小型モノレールのような「モノロープ」、ロープウェイとリフトの長所を組み合わせた「スカイライド」などもあった。もし、これらが採用されていたら、また新たな楽しみが加わったに違いない。

 万国博委員会ではこの答申を受けて、メインの中速大量輸送機関としては、跨座式モノレールや高架軌道バス、すでに札幌オリンピックに向けて研究の進んでいた案内軌条式鉄道などで検討を進め、1968(昭和43)年5月に跨座式モノレールで建設を進めることに決めた。このほか、前後して低速大量輸送機関は高架チューブ方式の動く歩道、高所観覧用機関はロープウェイ、低速観覧機関は電気自動車となった。

「モノレール」群雄割拠の時代があった!

 先述のように大阪万博の中速大量輸送機関として採用決定されたのは「モノレール」だった。特に愛称などは付けず、会場でも単にモノレールとして案内されている。

 日本では、1957(昭和32)年に開業した東京都交通局上野懸垂線(懸垂式/上野式)を皮切りとして、1962(昭和37)年に名古屋鉄道モンキーパークモノレール線(跨座式/日立アルウェーグ式)、1964(昭和39)年に関東レース倶楽部(よみうりランド)(跨座式/日立アルウェーグ式)、名古屋市交通局協力会東山公園モノレール(懸垂式/サフェージュ式)、東京モノレール羽田空港線(跨座式/日立アルウェーグ式)、1966(昭和41)年に小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレール線(跨座式/ロッキード式)、ドリーム交通モノレール大船線(跨座式/東芝式)、姫路市交通局モノレール線(跨座式/ロッキード式)と1960年代には全国各地でモノレールが次々と開業していた。

 モノレールに注目が集まっていた時代なのだ。ただし、同じモノレールといっても、その方式はさまざまで、まさに群雄割拠の時代でもあったのである。