ネット上で見かけるネタで、「温厚な日本人を怒らせるには米を踏みつければいい(そのくらい米は日本人にとって大切なものであり、なおかつ食べ物を粗末にすると怒る)」というものがあるが、これと同じぐらい、日本のネットユーザーと漫画・イラストは切っても切れない結びつきがある。関心を持たずにはいられない事象である、という土台がまずある。

 漫画家は「先生」を付けて呼ばれることからもわかる通り、尊敬の対象である(作家も出版業界内では「先生」と呼ばれるが、ネットユーザーから親しみを込めて「先生」と呼ばれているのは圧倒的に漫画家が多い)。作品を完成させる崇高な行為のなかに「トレパク」が混ざることが許せない気持ちを持つ人が多いといえる。

一度発覚したら過去作品も検証
SNS上でどんどん拡散

(2)トレパクは検証しやすく拡散されやすい

 一度トレパクが発覚したクリエイターは、過去作品も遡って検証される。現代はネット上に過去作がアーカイブされていることが多く、パクられ元も確認しやすいため、ネットユーザーたちによる検証作業がはかどる。

 SNS上ではパクリ側とパクられ元が画像として並べられると、非常にバズりやすい。わかりやすさと、「確かにトレパクだった」という納得感、ある種の謎解き感によって瞬く間に拡散されていく。

 今回の場合も現在進行形でトレパクの可能性がある画像が発掘され続けているが、検証作業が進むことがさらなる追加燃料となり、燃え続ける。こうなってくると発掘作業がエンタメ化してしまい、批判が苛烈になっていく傾向があるので注意が必要だ。 

(3)擁護の余地がほぼない

 炎上はしばしば、燃やされる側の肩を持つ人も登場するものだが、トレパクの場合、擁護の余地がほぼない。今回の場合、炎上の加熱を諌める言葉を投稿する人は見られるものの、江口氏の行為そのものを擁護する人はほとんど見られない。

「昔の漫画家はトレパクが当たり前だった」説を唱える人も見られるが、昔は発見されづらく、発見されても現代のように一般人による拡散が行われなかったから許されていたといえる。

 ともあれ、今回のような騒動を経て企業はイラスト採用時の確認に厳しくならざるを得ない。権利関係をきっちり抑えている同業者にとっては、災難な話だと感じる。

 かつては「影響を受けた」ですんだ行為が、今は「企業リスク」になり得る。 作品が企業や広告に採用される時代、作り手の無自覚はもはや許されない。 炎上は偶然ではなく、社会がクリエイターに求める「透明性」の表れだと感じる。