日本初の女性首相になる可能性のある自民党総裁・高市早苗氏が信奉…サッチャー元英首相は、なぜ一度敗れた外交戦で勝てたのか?
【悩んだら歴史に相談せよ!】続々重版で好評を博した『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)の著者で、歴史に精通した経営コンサルタントが、今度は舞台を世界へと広げた。新刊『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)では、チャーチル、ナポレオン、ガンディー、孔明、ダ・ヴィンチなど、世界史に名を刻む35人の言葉を手がかりに、現代のビジネスリーダーが身につけるべき「決断力」「洞察力」「育成力」「人間力」「健康力」と5つの力を磨く方法を解説。監修は、世界史研究の第一人者である東京大学・羽田 正名誉教授。最新の「グローバル・ヒストリー」の視点を踏まえ、従来の枠にとらわれないリーダー像を提示する。どのエピソードも数分で読める構成ながら、「正論が通じない相手への対応法」「部下の才能を見抜き、育てる術」「孤立したときに持つべき覚悟」など、現場で直面する課題に直結する解決策が満載。まるで歴史上の偉人たちが直接語りかけてくるかのような実用性と説得力にあふれた“リーダーのための知恵の宝庫”だ。

フォークランドを奪還せよ
――軍事と外交の両輪で挑んだ「鉄の女」
もう一つの戦場
外交という名のチェスボード
1982年、フォークランド戦争において、サッチャーが指揮したのは軍事作戦だけではありませんでした。もう一つの戦場とみなしたのが「外交戦」でした。
そして、その焦点は、イギリスにとって最大のパートナーであるアメリカの支持をどうとりつけるかにありました。
スエズの屈辱、勝利への布石
サッチャーがここまで外交に力を注いだ背景には、1956年のスエズ危機の苦い記憶があります。このとき、スエズ運河の国有化を宣言したエジプトに対し、イギリスとフランスは軍事介入をしました。
しかし、アメリカの強い反対を受け、イギリスは国際的に孤立し、屈辱的な撤退を余儀なくされたのです。
「イギリスの外交政策は、もはやアメリカの支持なくしては成り立たない」
これは、サッチャーの回想録に記された、痛切な学びでした。
鉄の意志と絹の手袋:レーガンを動かした説得術
1980年代初頭、アメリカではロナルド・レーガン大統領が就任していました。レーガン政権は「特別な関係(Special Relationship)」を重視し、イギリスとの連携を深める姿勢を示す一方で、南米政策の観点からアルゼンチンとの関係も維持したいという立場でした。
この複雑な構図のなか、サッチャーは強硬と柔軟を使い分けながら、アメリカに対して「イギリスの正義」を訴え続けました。
必要なときには毅然と主張し、ときには妥協や協調を見せつつ、最終的にアメリカの事実上の支持をとりつけることに成功したのです。
孤高の艦隊、南大西洋へ
こうしてアメリカの後ろ盾を得たイギリスは、すでに派遣していたタスクフォースを前進させ、フォークランド諸島へ本格上陸。アルゼンチン軍の士気は低く、首都スタンレーを目指す陸上戦はイギリス軍優位で進みました。
そして1982年6月14日、ついにスタンレーに白旗が掲げられ、イギリスの勝利が確定します。
「スタンレーに白旗」、静寂を破る歓喜
サッチャーは下院で、淡々と、しかし誇りをもってこう報告しました。
「スタンレーに白旗が掲げられました」
その瞬間、議場は静まり返り、そして歓喜の拍手に包まれます。
「戦う女王」の誕生
その後、ある閣僚が彼女にこう告げたといいます。
「あなた以外の誰も、この勝利を成し遂げられなかったと思う」
この戦争の勝利により、サッチャーは「戦う女王」と称され、国民の信頼と政権への支持を一気に手中に収めます。そしてこれは、1956年のスエズ危機以来、地に落ちていたイギリスの国威を大きく回復させる出来事でもありました。
勝利の追い風、改革への号砲
勝利の余勢を駆ってサッチャーは同年の総選挙で圧勝。その後、彼女は「サッチャー革命」と呼ばれる経済・社会改革を本格的に推進し、イギリスを再び世界の表舞台に立たせるリーダーとしての地位を確立していくのです。