凡人の私が「学び」で未来を変えた、自己成長の記録
「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

謙虚に学び、家臣も活かした徳川家康
徳川家康はライバルの武田信玄や武田家から兵法などを学び、武田家滅亡後はその家臣たちを徳川家にとり込むなど、素直で謙虚に学ぶ人でした。
読書家でもあり、中国古典や日本の歴史書からも学びました。江戸幕府創設後は、書籍の普及のために出版事業も立ち上げています。
歴史上の偉人に共通する「学び続ける力」
また、江戸時代米沢藩の名君・上杉鷹山は、細井平洲という先生からリーダーとしてのあり方や、どのように政治を進めるべきかについて若いころから学んだことが、米沢藩の藩政改革に活きて復興することができたのです。
徳川家康・吉宗、上杉鷹山、吉田松陰など、歴史に名を残す人物は、学ぶことを好み、学び続け、学びを現場に活かしました。そのような歴史上の人物に学ぶうち、私自身も同じように学び続けるということが「理想の姿」として醸成されたように感じます。
留年と挫折から始まった社会人生活
私は大学時代に司法試験を突破して、弁護士になることを目指していたのですが、大学4年生のときに留年してしまったことをきっかけに、試験勉強を断念しました。
当時は“就職氷河期”だったこともあり、就職活動に苦戦。最終的に生命保険会社に決まったものの、じつのところ自分としては不本意な就職先でした。
自分を磨くために、仕事と真剣に向き合った
しかし、歴史の学びから、どんな状況でも学び続けていれば、きっと新たな機会に恵まれることを信じて疑いませんでした。勝海舟は幕末、貧しいなかでも蘭学を学び続けたことで、その後の出世につながりました。当時はそのことが私の脳裏に焼きついていたのです。
不本意な就職先ではあったものの、仕事に関することはもちろん、自分のスキルアップに役立つと思うことは、積極果敢に学びました。たとえば、データベースを活用して営業支援をする「データベース・マーケティング」の関連書を読み、知識をインプットしながら、少しずつ仕事にも活かしていました。
学びを認められ、思いがけない異動へ
そうした姿を目にしてくれていた当時の役員が、私をデータベース・マーケティングの部署に推薦してくれたのです。
すると、異動先の部署で外部のコンサルティング会社と協働する機会があり、そこから現在へと続くコンサルティングの世界が拓けました。あのとき、現状に甘んじて仕事をするだけだったら、部署を異動することもなく、コンサルティングの世界へ足を踏み入れることもなかったでしょう。
司法試験の失敗と大学の留年では挫折を味わいましたが、学び続けたことで、新たな機会を得ることができたわけです。
まだまだ足りない。だから学び続ける
その後もコンサルタントとしてスキルアップするべく、管理会計や事業再生、M&A(合併・買収)といった領域を学んだことで、コンサルティングの実践に結びつけることができました。
当然ですが、学んでも学んでも、まだまだ学ぶべきことがたくさんあり、そのことに気づくたびに「自分にはまだまだ学びが足りないな」と反省し続けています。
「巨人の肩の上」に乗って、さらに先へ
ニュートンが書いた手紙の一節で有名になった「巨人の肩の上に乗る」という言葉があるように、新しい発見ができるのは、先人が積み重ねた発見があるからといわれます。
限りある人生で学べることには限界があるかもしれませんが、「巨人の肩の上に乗り、さらに先を見る」ように、今後も自分のポテンシャルを引き出すため、歴史上の人物にならって学び続けたいと思っています。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。