実の母ローザは一時、父の国であるアイルランドに移り住みました。
でも夫との関係は冷め、ダブリンの気候や湿気にもやられ、ついに精神を病んでしまいます。八雲が4歳の時、独りでギリシャに帰ってしまいました。
ローザの八雲への想いは抑えきれず、アイルランドに戻ってきたこともあったそうですが、会えずじまいでした。
なんとしても母に逢いたい。
八雲はそう念じつづけましたが、ついにかないませんでした。
今のように飛行機でひとっ飛び、というわけにはいきません。19世紀の話です。19歳でアメリカに渡った後、ヨーロッパには一度も戻っていません。
母への想いは大人になっても薄らぐことはなく、日本に来る前のことですが、やはり米国に移住した弟ジェイムズへの手紙でこう明かしました。
「どんな大金よりも、私はお母さんの写真が欲しい」
ローザは再婚して子どもをもうけましたが、八雲が32歳の頃、1882(明治15)年に精神科の病院で世を去りました。
母の死を、八雲は終生知ることはありませんでした。ローザの人生をただかなしく想いつづけた心持ちは、八雲の著作や実人生の歩みに色濃く映っています。
夫婦が一心同体となって
作品を紡ぎ出していく
セツの語りは、ひときわ凄みを感じさせました。
幼い頃から胸に宿した物語が八雲と出会い、伏流水のように湧きだします。話の筋だけでなく、ストーリーに応じた声音や表情が、八雲の再話文学に欠かせない要素になったのです。
ほかにもたくさんの民話を語り聞かせることができました。雪女や狐、河童の息吹を感じさせる物語……。最も近い八雲にその才を認められたこと。それは娘時代から苦労を重ねてきたセツにとって、自分の居場所を見つけた瞬間とも言えます。
11歳の頃から家のため、働きに働いてきました。回り道をしましたが、八雲と一緒になり、本来宿していた力を見いだされたように感じられたでしょう。
セツと出会い、あまたの民話を伝え聞いてゆく八雲が、ひときわ好んだ怪談があります。幽霊が子育てをする「飴を買う女」という物語です。







