「やりたくないなら無理にやらなくてもいいよ」
受け入れるのは、本当の優しさ?

 自由保育(=自由)と自由奔放(=放任)の決定的な違いは、基本的な生活習慣という土台があるかないか、ただ一点に尽きます。この土台がぐらついたまま、「やりたくないからやらない」という状態にすると、子どもの将来の可能性を逆に狭めます。なぜなら、土台を整える力こそ、やがて自分自身を支える「生き抜く力」になるからです。

 子どもが「宿題したくない」「片付けはイヤ」などと言ったときに、「やりたくないなら無理にやらなくてもいいよ」と受け入れるのは、本当の優しさではありません。むしろ、子どもが自分で乗り越えることで得られる大切な成長の機会を、大人が奪うことになります。

 たとえ最初は時間がかかっても「やるべきことをやり遂げる」という小さな成功体験の積み重ねが、子どもに「自分はできる」という自信を育みます。子ども時代に自信を育てることが、大人になって挑戦できる人間になれるかを左右するのです。

 さらに言えば、「枠のある自由」の中で、子どもは自分の行動に責任を持つことを学び、自信を深めていきます。例えば、時間を守って練習したからこそ、大好きなサッカーやピアノがもっと上達する。そんな成功体験が、本当の自律を育むのです。

 まとめると、子どもの個性や才能という素晴らしい可能性を輝かせるためには、安定した生活の土台が欠かせません。その土台を親子で一緒に作り、「当たり前」のこととして整えていく。その経験こそが、子どもが将来、自分の力で人生を切り拓いていくための、親からの何よりの贈り物になるのではないでしょうか。

 個性を尊重することと、生活習慣を放任することは違います。この境界線を意識することが、子どもの可能性を無限に広げる、本当の意味での「自由な子育て」につながるのです。

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